大和魂を発揮するのは金持ちが儲けるためではない

不都合な真実

こんにちは、デデです。

 

中沢啓治作「はだしのゲン」で次のようなシーンがありました。
主人公(中岡元)の父親(中岡大吉)が長男の浩二を説教する場面です。

 

大吉「ひとにぎりの金持ちがもうけるため
         国民のわしらになにひとつ相談もなくかってにはじめたのだ」

大切な教訓ですから書き出しました。

 

結論としては
われわれの大和魂は真実の生き方にあこがれるところにあります。

 

この中岡大吉の視点はプラトンの「洞窟の比喩」で考えるとわかりやすくなります。

洞窟の比喩から考えるコロナ禍

 

「洞窟の比喩」では秘蔵的なものと非秘蔵的なものが存在します。

  • 秘蔵的なもの ・・・ 真実
  • 非秘蔵的なもの ・・・ 目の前に見えてわかりやすい事柄

 

そしてこの「洞窟の比喩」の特徴として

秘蔵的なものを見ようとする人はそれをもとに世界を判断しようとする

のですが
目の前に見えてわかりやすい事柄しか見えない人は、
「非秘蔵的なものに束縛されている」「全く忘我的」なので

秘蔵的なもの」と「非秘蔵的なもの」が区別されていること自体にも
気がついていないケースが多い

とされています。

 

だから先の大戦中でも国民のほとんどが
「非秘蔵的なもの」つまり、ラジオのニュースと新聞で、
油断した国民のほとんどが感情を揺さぶられて、
自分のとる行動をメディアに操られてしまいました。
しかしこのような戦争でも日本民族には最後まで大和魂を貫く美しさがありました。

 

「かくすれば かくなるものと知りながら やむにやまれぬ 大和魂」
と詠んだのは吉田松陰ですが、大戦中にどれだけの日本人がこの詩に助けられ、
自分を奮いたたせ、消えていったのでしょうか。

 

大和魂という精神を受け継いでくれた大戦中の日本人には感謝の念がつきません。

戦争で命を落とされた日本人の英霊は全員大和魂を貫かれ、
愛する祖国と大切な人への想いとともに戦われたことを忘れてはなりません。

 

大和魂の定義は「永遠に自分にとっていいもの」に全力で命を捧げることです。

 

永遠にいいもの」であって、少なくとも100年後の自分がいたとして、
その自分が相変わらず「いいもの」と認めるものです。

 

おそらくそれは周りの人も同じような真価を認めることになり

大和魂とは「永遠にわが国にとっていいもの」に全力で命を捧げること

にもなってくるのではないでしょうか。

 

ですから尊敬する師に影響を受けた思想や自分の貫こうとする信念から外れる
生き方をしたらすぐに「恥」と思う文化がわが国で受け継がれて、
それは武士道精神として重んじられてきました。

 

ただし鎖国していた時代まではまだ脈々と生きていた大和魂も、
明治以降はむしろ

「秘蔵的なもの(=真実)がさらに隠される搾取社会」

がはびこることで、もともとの「永遠に自分にとっていいもの」ではなく

「非秘蔵的なもの(=わかりやすい、感情を揺さぶる、目の前の情報)」

のほうになびくように、うまく利用されてきたところもあるのですね。

「はだしのゲン」の作者、中沢啓治を代弁した中岡大吉の説教の
大切なポイントはそこにあります。

 

日本民族が支配者層の手により意図的な「非秘蔵的なもの」で
疑似環境をつくらされたままでいるのは大和魂としてどうなのでしょうか。

われらは疑似環境のなかにあり

 

2020米大統領選挙、コロナ禍を一歩引いて観察してみればわかりますが、
秘蔵的なものはネットに出回ってはいちいち削除され、
テレビなどのメディアでは相変わらず非秘蔵的なものしか流れていません。

われわれの大和魂は秘蔵的なもの(=真実)を知ってからが勝負なのです。

 

お金持ちの儲かる戦争がこれから予定されているようですが、

戦争がおきると儲かる人たちがいる

日本民族はどちらかというと争いごとは好みませんし、
何かとメディアを使って戦時体制に誘導しようとしてくる国際金融資本(DS)と
わが国の政府の愚にはうんざりしますから、DSの息のかかった非秘蔵的なものには
あまり接しないことです。

 

DSのほうではなく、秘蔵的なもの(=真実)にいつまでもあこがれを持ち続け、
肚を決めて
「永遠にわが国と自分にとっていいもの」に行動するところに
本当の大和魂が表に出てくるのではないでしょうか。