言霊学における天津日嗣という存在

日本民族

こんにちは、デデです。

 

言霊学の教科書である古事記上巻には天津日嗣(あまつひつぎ)という存在は登場しませんが、先哲の研究によれば天津日嗣の解釈がわれわれに大切な意味を帯びてきます。

 

まず天津日嗣の意味は次のとおりです。

引用先:コトバンク

天津日嗣

天つ神の位、系統を受け継ぐこと。皇位を継承すること。
また、皇位。あまのひつぎ。

 

そのため現在は一般的に天津日嗣は天皇の存在を指したりします。

 

ところが言霊学における天津日嗣は天皇の存在よりもはるかに「われわれに身近なもの」であると考えています。

 

結論から言いますと
言霊学における天津日嗣はすべての人間のことを意味します。

 

 

古事記上巻に由来する言霊学は「今ここ」の瞬間から始まる人間の心のはたらきとその心の先天意識の内容を言葉へと変える脳内の機能を解き明かしたものでした。

 

すべての生成物は無意識とも呼べる心の先天構造の思考から始まります。

 

古事記上巻を言霊学で読み解くと、「今ここ」に身禊を実践して望ましい結論が見えたりすると

言霊原理の天照大御神、宗教とモラルの月読命、科学と生産活動の須佐之男の命

を心の内に生じるようになります。

言霊学の「身禊」とは

 

これら3体がバランスをとってその行動の判断基準となっていくのです。

 

その三権分立の下で完成された人間を目指すようになる、それがわれわれの

邦家の経緯、王家の鴻化

と呼べるものであります。

邦家の経緯、王化の鴻基とは何か

特に日本語を理解するわれわれは特に邦家の経緯、王家の鴻化と隣り合わせ
とも言えます。

 

その完成された人間というのが仏教で言えば悟りと呼ばれる阿耨多羅三藐三菩提、キリスト教で言えば神の子にあたるわけで、その磨かれた人間性は天壌無窮のもので多くの人が人生で修行を積みながら目指すものでもあります。

 

その天壌無窮のものが神道ではまさに天津日嗣にあたるわけです。

 

天は心の先天世界、津は渡す、日は霊(ひ)で言霊、嗣はつぐ、天津日嗣とは文字の意味でも「天が渡す言霊をつぐ人」なのです。

 

それに人間の心の先天内容の道理というものを古事記上つ巻の言霊学を通じて日本神道として解き明かされるならば、言霊原理の継承活用者という意味において人間だれもが天津日嗣を秘めていることになります。

 

言霊学では言霊原理に通じた人を霊知りとか覚者と呼んでいます。

 

それならば天皇は天津日嗣ではないのかと考えてしまいますが、言霊学では天皇ことを天津日嗣天皇(あまつひつぎすめらみこと)と呼び、天壌無窮である天津日嗣の邦家の経緯、王家の鴻化と言霊原理の原理へいざなう三種の神器、その伝統の継承保持運営の責任者ととらえています。

 

言霊学で言えば天皇もわれわれも同じ天津日嗣で立ち位置は同じなのです。

 

その上でわれわれ日本民族は天皇のおほみたからであるのが日本古来の考え方でありました。

天皇における「おほみたから」とは

 

現在のように天皇の存在とはピラミッドの頂点に君臨しているとか伝統儀式のみを行う一族とかではないことがわかります。

 

日本民族が再び言霊原理の下で天津日嗣を目指すことになっても従来の神道から大きく矛盾することはありません。

 

むしろ現存する大小さまざまな神社は、多くの天津日嗣の悩みと願いを各人に確認させる場を与えてきたという素晴らしい文化であることがわかるのですね。

 

さらに、面と向かい合う客体を大切にする日本人らしい調和の精神を教えてくれる言霊学の解釈は神道の教義を補えるほど筋が通っているのです。

 

わが国に住む人が国難に見舞われたとしても、
言霊原理の下で天津日嗣がそれぞれの道を行おうとして文明を
構築していければ何ら問題はありません。
わが国らしさを取りもどすときに大切な指月の指になるのが
言霊原理だからです。

 

繰り返しますが天津日嗣という存在はすべての人間のことであり、われわれの心のなかに存在しているのです。

 

言霊原理と天津日嗣が密接に関係していることほど心強い後ろ盾はありません。

 

そして俗に言われるように天津日嗣とは、決して外からいつの日か現れてわれわれを救済してくれるという類のものとは限らないということです。