天皇における「おほみたから」とは

不都合な真実

こんにちは、デデです。

 

ひとつツイートを引用します。

 

東京五輪開会式で天皇陛下がご臨席されたものの、天皇陛下が

総理大臣と東京都知事と同席で並ばれるという扱い

だったのですね。

 

これは明らかに不自然なのです。

 

わが国の天皇制という権力構造が長く機能・維持されてきた理由については
諸説いろいろあると思うのですが、
小名木善行氏の説を参考にしてみてはいかがでしょうか。

 

簡単に説明しますと、こういう構造です。

日本は国家の最高の存在として権力者を置かなかった

国家最高の責任者なるものが人民を奴隷扱いにして、
責任を取らなければ、彼は国家最高の無責任者となる。
そういうケースで世界の数々の国が長続きせず滅びてきた。

そこで政治権力者に責任を取らせるために、
その上に国家最高権威を置く。(わが国の場合これが天皇)

国家最高権威は政治権力を一切ふるわないかわり、
政治権力者の上に君臨し、
国家最高権威が一般の民衆おほみたからとした。
(おほみたから=天皇の民)

天皇の民である一般民衆が食うに困らないようにしたり、
住むに困らないようにしたりする、
おほみたからである民衆を大切にする政策をとる、
それが政治権力者の仕事。
それには天皇の下で責任が伴う

 

上記が述べられてある動画を引用します。
引用先はHiramekiTVさんです。8:00~からご覧になれます。

 

太田龍著「長州の天皇征伐」でも次のような言葉あります。

日本民族は、
極悪悪魔主義者フランシスコ・ザビエルの日本侵略以前には、

「何者か」に所有された、「何者か」の所有物となった

という歴史的体験が存在しなかったのである。

レオナルド
レオナルド
「長州の天皇征伐」太田龍著

 

今回の東京五輪における天皇陛下の扱いですが、
天皇陛下がお与えになる政治権力者と並ばれてご同席ご高覧となると、
おほみたから目線ではどうも不自然であり、違和感を生ませてしまうのですね。

 

そもそも今回のコロナ禍でお気づきのように、
わが国の政治権力者たちは日本民族という

天皇の民であるおほみたから

を大切にするような政策を取ってきませんでした。
むしろ天皇の意に反しておほみたからないがしろにしてきたと言ってもいいくらいでしょう。

 

わが国にはいろいろ表と裏があるので政治権力に対してはおほみたからも一筋縄ではいかないのです。

疑うことは表と裏を暴くための一歩


するとわが国の天皇制という権力構造にも異変が起きていてもおかしくないのですね。

たとえば、わが国では天皇がお飾りとなって天皇より権力あるもの者が力を持つようになり、やがてその傀儡とも言える、無能な国家最高の無責任者おほみたからの前で

「今だけ、金だけ、自分だけ」の保身政治に発展する

なんてことにもなりかねません。

 

今回の東京五輪における天皇陛下の扱いとはおほみたから、日本民族の知らないところでわが国の天皇制において重大な異変の一部が表に出てきた兆候の一幕であるかもしれないのです。