大衆の感情に訴え大衆にやってもらう芸術

テレビ論

こんにちは、デデです。

 

「はたからみていいものは、それを持っている大衆の感情に壊させる。」

 

最近このような現象がわが国で目に余るようになってきました。

 

本質は理性で見ましょうということをお伝えしましたが

松尾芭蕉の目線で日本という書物を読む

社会がおかしな方向にすすんでいると思いませんか。

 

大衆の感情が作った疑似環境で、わが国の社会が壊されているからです。

 

結論としては
歴史的に悪いことをたくらむ人というのは自分の手を汚さずに、大衆の感情を使ったり大衆の感情を動かしたりして目的を遂行しようとするものです。

 

普通に考えて、大衆の感情をあおって自分とその集団に利益のある方向へ世論を
動かそうとたくらむ人というのは、大衆にはバレないようにするものです。

 

自ら率先して手をくだすなんて決定的な証拠もつきやすくなりますし、これほど愚かなことはありません。

最悪ドジをふんで現行犯にもなったりしますからリスクが高くなります。

 

そこでだれか大衆にやってもらい大衆の感情に訴えるのが常套手段になります。
(この視点があると理性的になり、テレビのニュースで犯人逮捕とは「頼まれてやってもらった人」を大衆の前にさらすことが目的で、まず思っておいてほしい事柄ではないかとまず考えるようになります。)

 

しかし悪いことをたくらむ人が彼の目的を達成するのに一番効率的な方法は、ただ大衆の感情に訴えるだけではありません。

大衆の感情に訴えて大衆に大衆のものを壊させるのがとても効率的な方法なのです。

 

すると仕掛けた側も見ているだけですし、何より自分が手を汚さなくていいのですね。

 

たとえば大衆が体を壊して病院通いにさせ、
いつまでも治療費で儲けられる状況にしたいならそのように

大衆がすすんで病気になるような状況そのための解決策という名の仕掛け

をつくりますし、伝統ある国家が伝統をなくすには、
その大衆に伝統を守らないようにさせればいいのですね。

 

 

これまでコロナ詐欺にかかわるとロクなことになりませんでした。

 

考えてみてください、
われわれの祖先は呼吸法や禅などで体を鍛錬する知恵を残してくれました。

 

その知恵とは集中し氣を育んで精神を高める技、それはへこたれない前向きな
精神であり、病気を寄せつけないどころか病気を吹き飛ばすほどなのです。

 

冷静に考えれば、われわれはほかの国では見られないわが国のすばらしき伝統を持っているのです。

 

はたからみていいものは、それを持っている大衆の感情に壊させる

 

コロナ詐欺が始まった時からわが国はメディアを使い大衆の感情を相手取った戦時下にあります。

 

繰り返しますが
歴史的に悪いことをたくらむ人というのは自分の手を汚さずに大衆の感情を使ったり大衆の感情を動かしたりして目的を遂行しようとするものです。

 

感情論ではなく心で見る理性を働かせることを心がけましょう。
感情だけで目の前の物事を見ると望ましい結論に落ち着く言葉を選べないものです。

言霊学の「身禊」とは

 

いつまでも感染対策よかれと思う、その大衆の感情につけこんだ罠に、
われわれ日本民族が気づくべき時はとっくに来ています。