こんにちは、デデです。
「是のただよへる国を修理(つく)り固め成せ」は古事記に出てくる文言です。
その古事記上巻において主役となる伊邪那岐の神と伊邪那美の神、この2神に託された文言でありました。
一般的な古事記の解釈だと、さあこれから地上に世界をつくりなさいよ、というようなわが国の歴史上の始まりとなっています。
この歴史的ひとコマが言霊学ではどのように解釈されているのでしょうか。
結論から言いますと、
言霊学における「是のただよへる国を修理(つく)り固め成せ」とは、
先天の心は動いているがまだ何ものも生まれていない中途半端さを
はっきりと現象化するために、必要な言葉を新たに増やし、
現象化しようとする事象に名をつけて、さらなる言葉の創造を続けながら
よりよい文明をつくっていきなさいよ、ということです。
言霊学とは心の先天世界の意識を研究する学問です。
古事記の「是のただよへる国を修理(つく)り固め成せ」のワンシーンはまさに
伊邪那岐の神と伊邪那美の神が登場してきて、これからこれら2神による国生み
が始まろうとする手前のところです。
その国生みのきっかけが「是のただよへる国を修理(つく)り固め成せ」という文言です。
言霊学につき、この文言が「今ここ」でわれわれの頭のなかで行われている話だとご認識ください。
この「是のただよへる国を修理(つく)り固め成せ」がどこから発せられたのか、
ですが、古事記では具体的な記載はありませんが、言霊学で見ればわれわれの心の先天宇宙からということになります。
心の先天宇宙とは言霊イ(=伊邪那岐の神)と言霊ヰ(=伊邪那美の神)の2つの言霊のほかに、古事記で先に登場した15言霊(=15神)と合わせ、計17言霊(=17神)の座する場所からということになります。
15言霊の名で表されていた神は天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神、宇摩志阿斯訶備比古遅神、天之常立神、国之常立神、豊雲野神、宇比地邇神、須比智邇神、角杙神、活杙神、意富斗能地神、大斗乃弁神、淤母陀琉神、阿夜訶志古泥神です。
言霊学ではこの計17言霊が心の先天宇宙を表しています。
これら17言霊のことを天津神諸(あまつかみもろもろ)の命と呼びますし、
17言霊が座する場所は天津磐境(あまついはさか)という境遇です。
つまり天津磐境は誰でも心のなかや頭のなかに存在しているのです。
天津磐境から17言霊が眺める、われわれの頭のなかに作られた宇宙は、
うごめいているものの何ものもまだ生まれていない混沌とした(=ただよへる)状態であるから、まず頭のなかにはっきりとした国を作りなさいよ、と天津磐境の創造意志である言霊イと言霊ヰの言霊に託されたのです。
ところで国という言葉ですが、これは文字通りの物理的な地形物を指していません。
言霊学では国がクニで組(ク)んで似(ニ)せたもの、組んでその次に現われるもの、
ととらえ、頭の中(=天)からくるものを頭に浮かぶ考えとするならば、次のように考えられます。
「思考」に対して「言葉」は「クニ」
「言葉」に対して「文字」は「クニ」
「文字」に対して「国家」は「クニ」
引用:「言霊」山腰明將著
つまり、ただよへる国というはっきりしない思考は、現象化させる作業が必要になってくるわけです。
その作業の結果がここでは言葉というクニなのです。
だから修理(つく)り固め成せとは、先天宇宙の思考をはっきりとした言葉で頭のなかに現象化していくことを指します。
その現象化に一番大切なのはあらゆる思考の森羅万象に名をつけることです。
森羅万象が存在するためには主体と客体で見る・見られるの関係で成り立っており、その事物のひとつひとつに名がないと主体が確認できず、客体も生まれず、
先に進めなくなるわけです。
- 森羅万象を確認できたとしても名がなければ、何も起こらない
- 森羅万象に名をつけることが必要
そしてその名をつける作業には言葉の数がもっと必要ということです。
心の先天構造の考えを現象化するためには森羅万象に名をつけることで後天世界の産物へとつなげていけるわけです。
「古事記と言霊」の著者、島田正路の見解はこうです。
修理(つく)り固め成せとは
先天の17個の言霊を働かせて、子音である現象の要素を生み、
その子音を結合させることによって一切の現象に名前をつけ、
その名前自体が指し示す道理を実現するような人間社会を
創造していくということ
引用先:「古事記と言霊」
この段階ではまだ子音が関係ない状態ですから、4母音(アオウエ)x8父韻(チイキミリヒニ)の32子音を生み出して、現象子音が成立していくことになります。
われわれ日本語民族では言霊50音を身に浸み込ませているので、
「是のただよへる国を修理(つく)り固め成せ」
というのが
「意味のわからなかった事象を名前をつけて理解し、頭の中に記憶させること」
という作業であることが直感的にわかるのですね。
それが言霊学でいう「今ここ」で起きていることであります。
頭のなかで何事もただよへる国のままだと、言葉が身につかず
あらゆる事象も理解しないものが増えてくるでしょう。
もっと言えばしっかり勉強しないとただよへる国が誤解されて
名がついてしまうことも起きてしまうわけです。
文明創造の作業はまさに「是のただよへる国を修理(つく)り固め成せ」から始まっていると言えましょう。
そしてわれわれの頭のなかから文明創造が始まっていることを古事記が伝えているのです。
ちなみに西郷隆盛は
「文明とは道があまねく行わるるを称賛せる言」
という名言を残しました。
この名言のように道を歩む人には長年の技術と知恵がどんどん確立していくものです。
その背景には道を歩む人が心を磨き上げて選んできた言葉があり、だからこそその人が口にする言葉には重みがあるものです。
日本語民族の邦家の経緯、王化の鴻化とは言霊原理のことではありますが
「是のただよへる国を修理(つく)り固め成せ」
を「今ここ」で毎回一歩ずつ踏み出して実践し、日々頭の中で文明創造の作業をしていくことにほかならないのです。