こんにちは、デデです。
東京五輪開会式にご臨席された天皇陛下については、
おほみたからと並んで実はもうひとつ気になる点があります。
その気になる点とは日本国史がご専門の小名木善行氏の講義にあるのですが、
ポイントを要約しますと以下のようになります。
天皇は「私は」という言い方は一切されない 神武天皇以来125代の天皇(2015年発言当時)がいらっしゃるが、
天皇となられた方が天皇の在任期間中に
「私」という表現をしたことは一度もない。
全て「朕」である。
「私」というのは自我がある。
「朕」というのは自我がない。
上記を述べている動画を引用します。引用先はHiramekiTVさんです。
45:00~からご覧ください。
ここでひとつツイートを引用します。引用先はあらかわさんです。
五輪開会式。
天皇の開会宣言で、座っていたのは、菅だけでなく小池も。
あまりにバッハの挨拶が長すぎてウンザリしていたのか、式典がつまらなくボォーとしていたのか、「祝う」言葉が入らず不満だったのか。 pic.twitter.com/2JwJwhxchP— あらかわ (@kazu10233147) July 24, 2021
気になる点は貼り付け動画とその字幕にあるように、
天皇陛下がはっきりと「わたくしは」と宣言された点ですね。
すでに第二次世界大戦直後の1946年に昭和天皇が人間宣言を行っており
それに伴い「朕」さえも消えてしまったという話なのかもしれませんが
もし小名木氏の指摘する<「朕」というのは自我がない>に一理あるとしたら、
現存する天皇制の異変の兆候とも取れてしまうのですね。
日本民族は古く受け継がれる伝統を大切にし、その先人の努力を尊ぶ民族でありますから、当然天皇制も日本人の子孫に伝えていくものと考えています。
そして天皇の一人称「朕」も、皇統独特の伝統的文明であります。
この世で大きな価値のあることはただ一つ、
噓つきや不正の人びとにたいしては寛大な心をいだきつつ、真実と正義の中に一生を過ごすこと
である。
マルクス・アウレーリウス
日本民族にとっては天皇制は真実なのです。
天皇のことを記した歴史書といえば「古事記」ですが
古事記上つ巻を言霊学でひもとくと、日本人の祖先がいかに言霊のことを
考え抜いていたか、その残してくれた知恵を推し量ることができます。
そして言霊学における天皇は日本語のもととなった言霊原理、言霊50音を知る聖(=霊知り)の長(おさ)とされています。
つまり言霊原理の天津日嗣でありながら、かつ言霊原理の象徴である八咫鏡の最高責任保持者、天津日嗣天皇(あまつひつぐすめらのみこと)であったと考えられているのですね。
言霊学で言う天照大御神は自我のない心の先天宇宙(=高天原)において
わが国とわれわれの頭のなかに文明を創ろうとする言葉を実践智として
ひらめかせる言霊原理(=神)なのです。
その言霊原理の象徴が八咫鏡であり天皇も自我のない存在と自覚されても
不思議ではないのです。
天皇の権威とはおほみたからとともに自我のない心で言霊原理を実践するところにあったと言霊学では伝えます。
そのようなわが国の国体とも言える天皇陛下が再び「朕」を使われるのは
言霊学の観点からすれば至極当然のことですし、天皇の「朕」を求めない日本民族など果たして存在するのでしょうか。