家屋の敷居を踏まないたしなみを

テレビ論

こんにちは、デデです。

 

 

家屋の敷居を踏まないようにするというのは、わが国の木造家屋において伝統的に暗黙の了解のようなものであります。

 

なぜ敷居を踏んではならないかは、Cutyさんのサイトが詳しかったので是非ご参照ください。

 

ちなみに同サイトからポイントだけ抜粋させていただきました。

敷居を踏むべきでない理由

  • 家や畳を大切にするため
  • 部屋との境界を守るため
  • 畳の緑や敷居は家主同然だから
  • ふちにつまづいて怪我をしないため
  • 踏むと命が危険にさらされたから

 

明治以後、日本の伝統的文化は古臭く、近代化という西洋文明にあこがれを持つようにテレビで洗脳されてきた日本民族。

 

敷居を踏んだからと言って責められることはそんなにないでしょうが、古くからの日本洋式の家屋を受け継ぎ、その家屋を預かる人ほど、その家屋と日常向き合っているからこそ、敷居をあえて踏もうとしない人の心(=言霊)の現象化を見抜いてくるものであります。

 

家主は敷居を踏まないことが理にかなっていると知っているからです。

 

わが国の伝統的文化についてはナシーム・ニコラス・タレブ氏が「身銭を切れ」でアドバイスしてくれている次の言葉を検討しましょう。

私生活と知的意見が矛盾した場合、その人の私生活ではなく知的意見のほうが無効になる。

 

知的意見を取り入れては試行錯誤を繰り返し、それで残された知恵ある私生活が日本伝統文化の特徴であります。

 

たとえば私生活でマスクなしで問題のない状態と、公衆でマスクをすべきという知的意見がぶつかれば、それは知的意見のほうが無効となり、知的意見を取り入れたとて私生活に反映しなければ日本民族らしさのかけらもなく、次元が異なるのです。

 

仕組まれた茶番劇のコロナ禍でお分かりのように、国際金融資本(DS)があやつってきた物質重視社会は予防接種とマスクが世界で通用しなくなるほどに、すでに完成を見ている段階にあります。

 

それゆえ今後ますます日本精神文化の復興というときですから、まずはわが国の伝統と古き心である敷居を踏まないことから始めるのは大いに良策であります。