こんにちは、デデです。
「御用学者」という言葉をご存じでしょうか。
時の政府・権力者などに迎合して彼らに都合のよい説を彼らの横で唱える学者、
という意味です。
私自身もずっとテレビに出るような学者は選ばれし真実を伝える者のような見方をしていましたが、この御用学者たちがテレビで台本のテーマに沿って話しているのを知ってからはテレビで物申す御用学者たちが
どれだけビジネスのために言わされているか
を考えてしまうようになり、彼らの説を鵜呑みにできなくなってしまいました。
そもそもテレビが歴史的に洗脳道具であることを自覚すれば、
テレビに出演する御用学者はすでに芸人扱いであり、
御用学者はメディア側が仕掛けるそう思っておいてほしい事柄に加担してしまっているのです。
ですから心ある学者たちはテレビ出演とは何かをきちんとわきまえているために
テレビに出ることがないのです。
古代ローマの哲学者も
「良識ある人物は汚れた屈辱的な苦役に身をすり減らすことはないだろう。」
と言い残しています。
ところで昭和の思想家である安岡正篤の講演録をひもとくと、
「有名無力、無名有力」
という説があります。
人間は無力なように見えて非常に有力なことがある。
反対に有力に見えて無力だったりもする。
人間というものは案外、成功すると無力になるし、有名になると無力になる、
という説です。
かえってテレビで名前を売る人より、無名である人が有力な人であることが多い。
だから無名にして有力な人になれ、という寸言が
昭和時代の日本民族に残した安岡正篤の「有名無力、無名有力」です。
安岡自身、有名になったことで次のような失敗を告白しています。
有名になったら、もう何もできなくなるのです。
有名人になってごらんなさい。
朝起きたら、もう人が来るでしょう。電話がかかる。
書類がたくさん集まってくる。付き合いも広くなる。
義理も多くなる。結婚式にも行かなければいかん。
葬式にも行かなければいかん。いろんな会合にも出なければならん。
朝から晩まで何をしているか訳が分からない。
有名になれば自分が束縛され、自分の時間が奪われる宿命になると、こればかりは昔も今も変わらないような気がします。
有名で多忙な人はお金に生きていれば耐えられるでしょうが、有力な人はつねに自分の時間に生きていることが多いのです。
そんななか現代社会はすでに「無名有力」の人がすぐ見つけやすいインターネット環境になり、無名な人が有力であることを発揮できる場所が与えられるようになりました。
下記の動画に登場する医師もその一人です。
特に最近ではテレビやラジオなど昭和の時代から愛されてきた媒体が
オールドメディア
と呼ばれ、現代のインターネットを活躍の場とする
ニューメディア
とはっきりと区別されるようになってきています。
そして真実の発信を心がける人と出会えるのは御用学者がはびこるオールドメディアなどではなく、ニューメディアのほうなのです。
この時代の変化を自覚しておかないと、いつまでたってもオールドメディアの情報に洗脳されたままである可能性が高くなるので注意しましょう。
テレビと同じことをニューメディアで繰り返す人も単なる広報だと言うことです。
まさにニューメディアが発達した現代とは
本物の「無名有力」の人がこの世を変えるべく台頭するにふさわしい時代
と言えるのです。