こんにちは、デデです。
かつて言霊原理研究の知識人たちがいて、彼らの到達した結論が
古事記上巻にわが国の言霊原理が隠没されている
でありますが、今回お伝えしたいのが古事記上巻にある「水蛭子」です。
古事記上巻に出てくる「水蛭子」は「失敗」の代名詞です。
ですから出てくるのもほんの一瞬なのですね。
しかし失敗例をわざわざ書いているのです。
この失敗と言霊原理と何の関係があるのか、少し考えてみました。
結論としては
言霊原理で読み解けば、水蛭子にならないように、創造意志を働かせましょう。
本内容は島田正路著「古事記と言霊」に沿って、私なりに内容をまとめたものです。
水蛭子という失敗
古事記上巻には当時わかっていた言霊原理の子音ができる様子を
伊邪那岐の神と伊邪那美の神の交わり
で表現し、島(=心の宇宙の区分け)、国(=言霊を組んで似せた言葉)、そして神々(言霊、言霊の整理・運用法)も生まれました。
しかし古事記上巻のその子音ができる場面ではわざわざ失敗も描いています。
失敗とは、母音(ウオアエ)を先にして父韻(チイキミシリヒニ)をあとからするような組み方だと子音ができなかった、生まれなかったというものでした。
つまりローマ字表記でたとえば母音をA、父韻をTを組み合わせてATとなったためTA(タ)という子音にならなかったという話です。
繰り返しますが、わが国の神話形式で描かれた物語にわざわざ失敗の場面が描かれているのです。
その失敗で子音とならず生まれたのが水蛭子と呼ばれるものです。
通説の古事記解釈では水蛭子は蛭(ひる)のような形をして
まるでぶよぶよしたような不完全な島であった、となっていますが
言霊原理にもとづいて「霊(ひ)流(る)子」も連想されるように
水蛭子は言霊が伴わず流れてしまった子(=実相)
ということであります。
なぜ古事記のなかで失敗をつくらせておいて、それどころか失敗を始末せずにそういうものあるという解釈で、そのままにして流すという話になっているのでしょうか。
そこで水蛭子の解釈として2つ取りあげます。
水蛭子による非現象化と水蛭子は現在の人間です。
水蛭子による非現象化
言霊原理でお伝えしましたように、
8父韻であるチイキミシリヒニとアオウエ4母音が組み合わさり、
成功すると32子音が生まれ、実相を現象化していくものでした。
しかしその組み合わせに失敗したのでありますから、
水蛭子とは32子音とならなかったもの = 現象が生まれない状態
になります。
古事記上巻の表現では「女人先立ち言えるはふさわず」が失敗した理由です。
女人の暗示する母音を先にして父韻をあとにつけるのはふさわしくないという意味です。
たとえば「ひるこ」をIH・UR・OKと創造するとどうでしょう。
失敗というのは、実相の子音が生じないと、思考を現象化できない、ということです。
母音が先、父韻を後にしてしまった水蛭子だと、心の先天宇宙にせっかく生まれた考え(=言霊)を現象化できないのですね。
創造意志(=父韻)を前面に出さないというのは、母音アオウエ(感情・記憶・欲・選択)という個人の悟りにばかり先に置いていて、今生きている社会で創造活動も現象化してこないという表れでもあります。
水蛭子は現在の人間
また水蛭子は何か、という問いの答えで、ユニークにも
「水蛭子は現在の人間である」という思い切った解釈もあります。
人間は千差万別ですのですべての人間が水蛭子ではありません。
ただどういう人間を指すかというと、
母音アオウエ(感情・記憶・欲・選択)という小乗的な個人の悟りのみに
執着している人
です。
われわれの生きる3次元世界は「ピラミッド搾取社会」であります。
そのため、われわれの社会は競争や不調和、物質主義、そして権力による同調圧力などが生まれやすい環境です。
社会の不和から離れて心の平安を求めてショッピングや余暇時間などに力を借りたりしますが、一瞬幸福は得られても、このピラミッド搾取社会は変わりません。
結局、このままでいいや、とわれわれのさじを投げさせるのが搾取社会の目的で、現代の政治・経済の搾取構造を暴き、理想社会をつくろうという積極的な創造意志をわれわれに生み出さないようにさせているのです。
いわば搾取社会に、われわれが8父韻という創造意志を心の先天宇宙で発揮できないようにさせられている状態です。
搾取社会に生きるうちにわれわれの創造意志を消されてしまった状態、
そして目の前の個人の悟りが成就するのは他人の権力に取り入るときだと思ってしまっている状態、
それがまさに水蛭子の状態であります。
われわれは隠没された言霊原理を知らされることがなかったので、
人間の言霊を学ぶことがなく、数千年にも及ぶ長い間、搾取社会の状態に慣れきってきたというわけです。
最後に
以上、古事記の水蛭子についてお伝えしました。
水蛭子が失敗例としてわざわざ古事記に描かれたというのも、そういう人間の摂理が太安万侶の時代からあったので、古事記のなかで思考を現象化できる例もできない例もあると、言霊の特徴として避けるわけにはいかなかったのではないでしょうか。
「創造意志を先に。小乗的悟りを前面に出すと失敗することもある。」
水蛭子は言霊原理にとても関係があったのです。