須佐之男命の思想に向き合わなければならない日本民族

日本民族

こんにちは、デデです。

 

古事記上巻によれば須佐之男命は、天照大御神と月読命とともに伊邪那岐の大神の身禊によって生まれたとされています。

 

古事記上巻とは言霊原理であることをふまえますと、伊邪那岐の大神の精神から生まれた三貴子、つまり天照大御神、月読命、須佐之男命の3神。

 

彼らには伊邪那岐の大神からそれぞれ次のような使命がありました。

  • 天照大御神 
    =高天原、われわれの脳内の判断中枢、つまり言霊原理を用いるセンターとして国と地域を治める
  • 月読命 
    =夜の食国(おすくに)、文字を基調とした知識の世界、広く哲学・宗教などを治める
  • 須佐之男命
    =海原、うなばらの「うみ」は「生み」そして「成る」ところ、物事の実現、産業・経済の発展を治める

 

この伊邪那岐の大神の使命をこれら三貴子は使命を受けた、つまりわれわれの脳内において3つの思想が協力することになっているのですね。

 

ところがだいぶたっても父神の使命を果たそうとしない須佐之男命

 

伊邪那岐の大神が確認すると、須佐之男命が言うには、わが使命の発展は生むばかりでなく「壊す」行為も必要。高天原の治める葦原中国では「壊す」行為は似つかわしくなく、「物質は何か」はとうてい極められるものではないので、母(=伊邪那美の命)の属する黄泉国(よもつくに)に移りたい、と伊邪那岐の大神に申し立てます。

 

そこで身禊の叡智を判断するほどの伊邪那岐の大神が、須佐之男命にお前はもう高天原の治める国にいなさんな、と追い出されてしまうわけです。

 

そこから黄泉国、つまり客観的物質科学文明の世界やその思想を治める神が須佐之男命と認識されることになります。

 

須佐之男命は言霊ウに代表されるように「欲望性能」が大きく働いているからです。

 

須佐之男命は今どこにいるのでしょうか。

 

高天原とその治める国をわれわれの脳内とすると黄泉国は目の前の3次元世界となりますが、高天原の治める国をわが国とすると、黄泉国は外国、もっというと西洋文明となります。

 

ところで西洋文明の世界には文明の発展とともに産業・科学の恩恵産物と舌に肥えた人を満足させる美味・食事にありふれていますが、その一方で想像できないような悪事もたくさんはびこっています。

 

その悪事でいうと今日の西洋文明社会において国際金融資本(DS)が須佐之男命の役割の一部を担っています。

 

そしてDSによって隠された真実残虐な行為が山ほどあり、われわれ日本民族もまったく例外ではないということです。

 

そのような須佐之男命のなせる業ともいえる西洋の悪魔崇拝関連の情報や本当の日本の歴史が出てきても、それらをちゃんと学び知っておくことは天照大御神を天に抱き天照大御神の役割を果たす日本民族のこれからの宿命であるように思われます。

 

ちなみに月読命の存在について説明すると、名前の「つく」と「読み、説明する」の意味から、天照大御神に付いてその天照大御神の思想を説明する役割、月読命の正体は言霊原理を持たないかたちでの天照大御神の体現であります。

 

そして月読命は須佐之男命と同じように高天原の治める国から離れ、この3次元世界が須佐之男命の悪行だらけにならないように須佐之男命を脇で見守り、東洋文明を中心に言霊原理にうっすら似たような世界の宗教・哲学の発展に寄与してきた神と捉えることができます。

 

昔から3次元世界で須佐之男命の思想と対立しているのは月読命の思想であります。

 

それでは肝心の高天原を治めているはずの天照大御神は何をしているのかというと、現在わが国という高天原に対する須佐之男命(=DS)による乗っ取り背乗り戦争にある背景から、天照大御神は天の石屋にかくれている最中なのです。

「天の石屋」の天照大御神を洞穴から出したい

 

当然、わが国に光が差し込むのは日本民族が須佐之男命の存在を認め、須佐之男命の使命を理解した時となるのです。

 

言い換えるとわが国の政府による悪事が須佐之男命の所業によるもの、だから日本という国が明治維新以降乗っ取られ、日本民族として進む道がおかしくなっているとわれわれ日本民族がはっきりと気づいた時なのです。