超えようのない深い淵とは自分に合うか合わないか

セネカ

こんにちは、デデです。

 

画像を引用します。引用先は米子さんです。

 

わが国では今深い溝が見られますよ、という視点を風刺したわかりやすい絵です。
しかし本当にこのような現状は避けられない現実になってしまいました。

 

こっちが正しくてあっちが間違い、とかでつい見てしまいがちですが

「分断・対立で深い溝のできあがり」

となってしまいこのコロナ禍を仕掛けた国際金融資本(DS)の思うツボになってしまいます。

 

そこで

どちらが自分に合うか合わないかを考え、自分とは合わないほうを選ぶ人もいる

というスタンスをとっておくのがいいでしょう。

 

深い溝の反対側や、ほかの人には干渉しないようにするのです。

 

深い溝といえば、ジョージ・バーナード・ショー著「人と超人」で、人はどうしても天国と地獄に分かれてしまうという意味で

「深い淵」

と表現する場面があります。
そこではこのような表現がされています。

悪魔 「だが気に入らぬというこの深い淵は未来永劫、越えようがない。」

引用先:「人と超人」第三幕

 

性に合わないという考え方は誰にもあるもので、その淵を超えずじっとしているほうが吉です。

 

ですから、こういうご時世でご自身が淵をはさんで望む側を選べるとしたら、

ご自身の合う合わないの本音が大切になってきますよ

ということです。

 

ご自身が望む側を選ぶのは次の理由もあります。

石像 「つまりお前ね、ほんとうに資格のない人間が天国へ行ったって、楽しいことなんかないんだよ。」

引用先:「人と超人」第三幕

 

この世界はご自身の意志で合うほうを選んで過ごしている今が大切なのです。

 

一番気をつけねばならないことは、何も考えず

「人が行くから私も」

という思考です。

 

テレビを見たり、人の反応を見たりして自分の意見を選んでいる間は、
自分で選んだことにはなりませんよ、という点を断っておきます。

 

だいたい与えられた情報というものは、自分でつかんだと思ってしまうもので実はつかまされていることが多いからです。

 

淵をはさんでどちらの側か選ぶ際には次のような落とし穴もあります。

ドン・ファン 「忘れちゃ困るね、君、頭脳のない肉体のすばらしさは試験ずみなんだよ。(中略)
だが頭脳が無かったばかりに、どうすれば生きられるかわからず、我とわが身を滅ぼしてしまったのさ。」

引用先:「人と超人」第三幕

 

快楽を享受することを頭脳のない肉体のすばらしさと表現していますが、それを基準にご自身の望む側を選ぶと身を滅ぼすのです。

 

ニーチェは人はすぐラクをしたがるという意味で「快楽主義の人間は、ほんのちょっとした苦しみに対して、とても大げさに怖がる」と言っています。

 

まとめになりますが、深い溝をはさんでそれぞれ人が望む方を選んで楽しい世界となるのは、正しい悪いは関係なく

自分に合うか合わないか

であり、自分に合うほうが楽しくなるのは自然の法則です。

 

それこそ自分には合わないのに他人の選ぶものに付いていってしまったら、取り返しのつかないことになって

深い溝をはさんで後から後悔する話

に陥ってしまうのです。