こんにちは、デデです。
言霊原理の島、今回は知訶島(ちかしま)です。
言霊原理の島は残り2島になり、テーマが「禊祓(身禊)」になります。
「禊祓」についての島をご覧になる前に、前回に禊祓を行う伊邪那岐の大神についてお伝えしましたのでそちらを先にご覧いただくと「禊祓」の理解が深まります。
知訶島の知は知識の意、訶は叱り、たしなめるの意味です。
知識をたしなめる区分(=島)、とは
黄泉国(=外国)において発想された学問知識を、
人類文明創造の最高規範(言霊50音図)に照らしてそれを整理し、
外国文化の意義とその人類文明に占める位置を見極めていく働きの区分、
のことです。
また知訶島は天の忍男(あめのおしを)とも呼ばれ、
人間精神の先天的構造(天)の大いなる(忍)働き(男)を表しています。
この知訶島から、その大いなる働きである言霊原理のクライマックス、
言霊50音図をもとに人類文明を創造する禊祓(みそぎはらひ)の説明が始まります。
知訶島で禊祓の全体像を言霊の整理・運用法12神の働きで見ていくことになります。
知訶島に座する言霊の整理・運用法は
衝立船戸神、道之長乳歯神、時置師神、煩累之大人神、道俣神、飽咋之大人神、
奥疎神、辺疎神、奥津那芸佐毘古神、辺津那芸佐毘古神、奥津甲斐弁羅神、
辺津甲斐弁羅神です。
本内容は島田正路著「古事記と言霊」に沿って、私なりに内容をまとめたものです。
この記事の目次
衝き立つ船戸の神
かれ投げ棄(う)つる御杖(みつえ)に成りませる神の名は、 引用:「古事記」
衝き立つ船戸(つきたつふなど)の神。
投げ棄つるは投げ捨てることではありません。
ここでは禊祓を目的として外国文化の上に投入する、という意味です。
御杖は人間に与えらえた判断力のことであります。
禊祓をおこなう高天原の伊邪那岐の大神が御杖の判断力を外国文化に投入すると、生じてくるのが衝き立つ船戸の神だということです。
衝き立つ船戸の神の衝き立つは斎(いつ)き立てる、の暗示です。
「斎く」は言霊50音の天津菅麻音図で5母音アオウエイの次元を静かに自覚し、
5母音アオウエイを天の御柱として心のなかに斎き立てる、その動作ですね。
船は運ぶものの代名詞であり、文字通りの物理的な船は人や物を運びますが、言葉という船は心を運びます。
衝き立つ船戸の神の名の暗示とは、
禊祓できるように心のなかに斎き立てられた言霊50音の原理の戸、
つまり言霊原理の鏡という意味です。
禊祓のときに心のなかに斎きたてる人間の理想の精神構造、言霊原理(鏡)に、衝き立つ船戸の神の名がつけられました。
建御雷の男の神と衝き立つ船戸の神の精神構造は全く同じものです。
しかし両者の違いは、伊邪那岐の神の主観の入った建御雷の男の神と異なり、
ここでは伊邪那岐の大神が禊祓をするにあたり、禊祓での役目となるのが衝き立つ船戸の神のほうというわけです。
衝き立つ船戸の神は天津菅麻音図の人間の理想の精神構造に由来するので、
これから天津菅麻音図上において黄泉国(外国)文化とその賜物を整理・分析するのに大切な5つの準備事項を見つけることになります
道の長乳歯の神
次に投げ棄(う)つる御帯(みおび)に成りませる神の名は、 引用:「古事記」
道の長乳歯(みちのながちは)の神。
御帯の帯は結んだりまとめたりするような緒霊(おび)・尾霊(おび)の意味となり、
物事に関連した持続性があるいう暗示であります。
未知の外国文化に「御帯」を投入して物事の持続性があるかどうかを見極めようとするのですね。
道の長乳歯の神の道は物事の道理であり、長乳歯とは子どもの歯が生えそろって
すべてが長く持続していくことの暗示です。
外国文化の内容とその賜物に物事の持続性があるかを調べる力動に、道の長乳歯の神の名がつけられました。
時置師の神
次に投げ棄(う)つる御裳(みも)に成りませる神の名は、 引用:「古事記」
時置師(ときおかし)の神。
御裳の裳(も)は百(も)であり、心(=言霊百神)の衣です。
そして裳とは腰から下につけ、襞(ひだ)があります。
天津菅麻音図でも一番下段に8父韻という襞が位置することが連想されます。
【天津菅麻音図】
ワ | ア | ||||||||
ヲ | オ | ||||||||
ウ | ウ | ||||||||
ヱ | エ | ||||||||
ヰ | 8父韻 | イ |
天津菅麻音図の8父韻の配列は、事物の現象発生の変化のリズムを表すものでした。
天津菅麻音図の8父韻は筒となって時の移り変わりを示す「御裳」、未知の外国文化に「御裳」を投入してその時の移り変わりのさまを見極めようとするのですね。
時置師の神の時は時間のことであり、置師は量(おかし)とも表され、時間の流れを検討することです。
外国文化の内容とその賜物が時の移り変わりでどうなっていくかを見極める力動に、時置師の神の名がつけられました。
ここで「時処位」のことを考えてみましょう。
それぞれ時間・空間・次元ですね。
「古事記と言霊」の著書島田正路は「古事記」の身禊(禊祓)の場面で時の置師(=時置師)しか登場しない点を指摘しています。
時は時間の流れであり、時間とともに空間では事物の実相が変化します。
事物の実相の変化は時の移り変わりであり、
空間における実相の変化が時の流れであります。
島田の指摘どおり、現象とは実際は時処位の3置師で構成されています。
時置師のほかに、処置師(ところおかし)・位置師(くらいおかし)も存在するので、
時置師の神だけを考えていると何かと矛盾が起きることも予想されるのです。
ここは時置師の神が他の2置師も含んで、3置師すべてを含んでいるという思考が大切だということです。
ちなみに処置師とは空間の場所の見極める力動であり、また位置師とはここではアオウエイ5次元の重畳(=重なるさま)の配列を見極める力動になります。
これらをふまえて各次元に適合する代表的な言霊50音図の時置師は次のとおりです。
- ウ次元 キシチニヒミイリ 天津金木(あまつかなき)音図
- オ次元 キチミヒシニイリ 赤珠(あかたま)音図
- ア次元 チキリヒシニイミ 宝(たから)音図
- エ次元 チキミヒリニイシ 天津太祝詞(あまつふとのりと)音図
- イ次元 チキシヒイミリニ 天津菅麻(あまつすがそ)音図
※不特定のため主体(チキシヒ)と客体(イミリニ)をつなげています
3置師(おかし)の特定が三置(みち)と呼ばれ、道(道理)の語源のひとつであります。
煩累の大人の神
次に投げ棄(う)つる御衣(みけし)に成りませる神の名は、 引用:「古事記」
煩累の大人(わずらひのうし)の神。
煩累の大人の神は和豆良比能宇斯能神と書かれてあっても意味は同じです
煩累の大人の神の煩累とは意味が不明瞭であいまいな状態のことです。
大人とは主人公の意味です。
御衣(みけし)とは「心の衣」で言霊50音図のことです。
未知の外国文化に「御衣」を投入してその外国文化で生まれた言葉のあいまいな表現と意味を明らかにして理解しやすいものにしようとするのですね。
われわれが外国文化とその賜物をそのまま不明瞭なままで受け入れれば、わが国の文明創造どころか、わが国で問題しか起きないことになります。
外国文化の内容とその賜物において不明瞭な言葉を明確化し、はっきりと理解できる言葉に変換する力動に、煩累の大人の神の名がつけられました。
道俣の神
次に投げ棄(う)つる御褌(みはかま)に成りませる神の名は、 引用:「古事記」
道俣(ちまた)の神。
道俣の神の道俣とは続く道がある一点で二方向に分かれた場所です。
褌(はかま)とは、胴体から二本の足が入るように二俣に分かれている衣類のことです。
未知の外国文化に「御褌」を投入して外国文化における二元性の分離・分岐の定義と、その対立する言葉同士の意味を明確化しようとするのですね。
物事の整理を行うには、表裏・陰陽・主客・前後・左右・上下など分離・分岐を明らかに見抜いておく必要があります。
外国文化の内容とその賜物において外国文化の物事の分岐点(=二元性)を明確にする力動に、道俣の神の名がつけられました。
飽咋の大人の神
次に投げ棄(う)つる御冠(みかがふり)に成りませる神の名は、 引用:「古事記」
飽咋の大人(あきぐひのうし)の神。
飽咋の大人の神の飽(あき)は明らかなの意味、咋(くひ)は組む霊(ひ)の暗示です。
大人は主人公の意です。
冠は頭にかぶるもの、天津菅麻音図で言えば頭は一番上のア段に相当します。
事物の実相は感情(=ア段)に立ってみる時、最も明らかにすることができます。
未知の外国文化に「御冠」を投入してその物事の実相を自分の素直な感情で明らかに見て、言霊50音(=霊)に組もうとするのですね。
言霊50音に組むというのは天津菅麻音図において
人間の理想の精神構造をさらに完成させること
にほかなりません。
外国文化の内容とその賜物において物事の実相を明らかに見て、言霊50音に組んでいく力動に、飽咋の大人の神の名がつけられました。
禊祓の天津菅麻音図
以上、言霊の整理・運用法で衝き立つ船戸の神と、禊祓の前に行う外国文化の整理の方法を示す5神を紹介しました。
これら6神の誕生は、未知の外国文化や未知の物事などが心のなかで細かく分析されるようになり、その未知のものの真実の姿を浮き彫りにしてくれるようになります。
禊祓をやり易くしてくれる5神の概要
- 道の長乳歯の神 (持続性)
- 時置師の神 (物事の移り変わり)
- 煩累の大人の神 (あいまいさの除去)
- 道俣の神 (物事の分岐点の確認)
- 飽咋の大人の神 (物事の真実の姿の確認)
知訶島における言霊の整理・運用法12神のうち、まず6神が登場したことになります。
禊祓によって浮き彫りにされた未知の外国文化とその賜物がどのように処理されていくのか、そして人間の心のなかがどのような動きになるかを知訶島の残り6神と解決していくことになります。
これ(=残り6神の働き)によって
伊邪那岐の大神の主観内のみの真理であった
建御雷の男の神(=衝き立つ船戸の神)という真理が
名実共に客観世界に適用されて誤りのない絶対的な大真理となります。
そうなった真理が天津太祝詞(あまつふとのりと)音図
または天照大神の八咫の鏡と呼ばれるものです。引用:「古事記と言霊」身禊(その一)
上記の参考までに天津太祝詞音図を載せておきます。
【天津太祝詞音図】
ワ | サ | ヤ | ナ | ラ | ハ | マ | カ | タ | ア |
ヰ | イ | ||||||||
ヱ | エ | ||||||||
ヲ | オ | ||||||||
ウ | ウ |
古事記では次のように登場します。
次に投げ棄(う)つる左の御手の手纏(たまき)に成りませる神の名は、 引用:「古事記」
奥疎(おきさかる)の神。
次に奥津那芸佐毘古(おきつなぎさひこ)の神。
次に奥津甲斐弁羅(おきつかひべら)の神。
次に投げ棄つる右の御手の手纏に成りませる神の名は、
辺疎(へさかる)の神。
次に辺津那芸佐毘古(へつなぎさひこ)の神。
次に辺津甲斐弁羅(へつかひべら)の神。
これら6神の紹介の前に、用語の説明を少しします。
手纏(たまき)は古代から玉などの装飾品で、特に手にまとって飾りとしたものとなっていますが、ここで言う手纏(たまき)は言霊原理の暗示のパターンであります。
どういう暗示かというと人間の理想の精神構造であり、物事を検討・判断していく場である天津菅麻音図と関係があります。
【天津菅麻音図】
ワ | ア | ||||||||
ヲ | オ | ||||||||
ウ | ウ | ||||||||
ヱ | エ | ||||||||
ヰ | 8父韻 | イ |
天津菅麻音図を「人間の姿」と見立てると、左の御手の手纏とは、
人間が両腕をそれぞれ真横に伸ばした形の左手の飾り、音図で言えば、見る側は反転して一番右の縦の一列、つまり飾りが5つの母音アオウエイのことであります。
すると次に出てくる「右の御手の手纏に成りませる」の手纏は、音図を見て左端の飾りとなるのが5つ半母音ワヲウヱヰの一列になります。
左右の手纏から出てくる神々は左右まったく同じ名前の3組の神でありますから、
神の名前の説明や働きの解説がわかりやすくなるようにペアごとに紹介します。
奥疎の神・辺疎の神
奥疎(おきさかる)の神と辺疎(へさかる)の神の疎は離れる、へだてるの意味です。
どちら方向に、ということで奥と辺の意味は下記のとおりです。
- 奥 ・・・ 起(おき)、興(おき)で発端を表す積極・陽性音、
5母音アオウエイ、物事の発端 - 辺 ・・・ 山辺、海辺など端(はし)の方を表す消極・陰性音、
5半母音ワヲウヱヰ、物事の終局
天津菅麻音図に照らされて明らかにされる外国文化とその賜物は、
奥と辺のうち、まずはその価値・内容が出発点である奥から考慮されます。
起である出発点、あるがままのその状態にその焦点を寄せていくことが奥疎であります。
そして同時進行的にその価値・内容から見て外国文化とその賜物が、
人類文化の全体のどこに落ち着くべきかの結論も問われなければなりません。
そこで辺である結果の方向にその焦点を寄せていくことが辺疎であります。
外国文化の内容とその賜物において物事の出発点に重きを置こうとする力動に、奥疎の神の名がつけられました。
外国文化の内容とその賜物において物事の結論に重きを置こうとする力動に、辺疎の神の名がつけられました。
そして忘れてはならないのは、これら2神が同時進行で行われることです。
禊祓の作業とは複数同時進行ということです。
奥津那芸佐毘古の神・辺津那芸佐毘古の神
奥津那芸佐毘古(おきつなぎさひこ)の神と辺津那芸佐毘古(へつなぎさひこ)の神の
津は~へ渡すの意味です。
那芸佐毘古とはことごとく(那)業(芸)を助ける(佐)働き(毘古)です。
そこで禊祓の重要な点を「古事記と言霊」では次のように指摘しています。
新しく発生したひとつの学問・文化がもつ価値・内容、社会
に占める位置などが心の鏡に照らされて決定されますと、
次に、その新しい学問・文化の発想者・発見者に対して、
こちらの判断が妥当であり、真理に叶っており、
発想者自身もそれで納得ができるような言葉が生み出さなければなりません。
言葉が状況に応じて選ばれなければなりません。
禊祓の行為とは言霊エの次元の現象であるのです。引用:「古事記と言霊」身禊(その一)
ことごとく業を助ける働きとは言霊エの下で言葉を選ぶ作業であります。
外国文化のものであってもその出発点の時から含む価値・内容をことごとく生かし育て、それと同時に言霊エの実践智から創造される望ましい結論への期待は、ひとえに言霊エの次元の言葉にかかっている、これが禊祓ということです。
外国文化の内容とその賜物において物事の出発点の時から想起された価値内容をことごとく生かすような言葉を選ぶ力動に、奥津那芸佐毘古の神の名がつけられました。
外国文化の内容とその賜物において物事の望ましい結末に確実に落ち着かせる言葉を選ぶ力動に、辺津那芸佐毘古の神の名がつけられました。
禊祓の作業とは複数同時進行ということです。
奥津甲斐弁羅の神・辺津甲斐弁羅の神
奥津甲斐弁羅(おきつかひべら)の神と辺津甲斐弁羅(へつかひべら)の神の甲斐弁羅は甲斐がへだたりで、弁羅が減らす、少なくするの意味です。
前に登場した奥津那芸佐毘古の神と辺津那芸佐毘古の神によって
起点側と結論側の双方を生かそうとする言葉が同時に生まれています。
これら2神の言葉のままでは何の解決にもなりませんので、
やがてそれらが心のなかでへただりが少なくなるように
中立的な言葉へ融合されていくのですね。
最終的に奥と辺がひとつとなった創造の言葉を生み出そうとするのです。
ひとつの言葉になった文明創造の言葉は、言葉まで紆余曲折をたどるがゆえに
どうしても「奥」起因の力と「辺」落着の力が残ってしまうのですね。
とはいえ創造の価値内容と人類文明として明らかにされた内容を含むものであり、
いつどこでだれがなにをしようと最高の統治能力を発揮してくれる、
輝かしい言葉であります。
外国文化の内容とその賜物において最後にまとまるひとつの創造の言葉が
「奥」つまり発端のほうに働く力動に、奥津甲斐弁羅の神の名がつけられました。
外国文化の内容とその賜物において最後にまとまるひとつの創造の言葉が
「辺」つまり結末のほうに働く力動に、辺津甲斐弁羅の神の名がつけられました。
禊祓の作業とは複数同時進行ということです。
以上、知訶島の言霊の整理・運用法12神を紹介しました。
外国文化の賜物を禊祓するとき、心がどのような動きになるか、そして禊祓の創造の言葉がどのように作り出されてくるかを伝えていたのが古事記上巻でありました。
禊祓の言葉を簡単に申せば、
「正しい悪いの言葉ではなく文明創造の言葉を選ぶ」
が本質となります。
言霊原理と理想の精神構造の自覚なくしてわれわれの文明創造はありえません。そして文明の創造とは禊祓の言霊の整理と運用法12神に照らし合わせて
「自分が望むほうを選ぶ」
ことだからです。
次回は禊祓の最終段階の検討となり、この言霊原理の島のシリーズの最後の島になります。
そして禊祓によって誕生する三貴子(みはしらのうずみこ)が何かを見てまいります。