言霊原理の島 ⑭両児島

日本民族

こんにちは、デデです。

 

言霊原理の島、今回は14番目最後の両児島(ふたごのしま)です。

 

両児島の両の字が意味するものは、
この区分で言霊50音言霊の整理・運用法50神の2つが出そろい、
2つの段(両屋)ができあがることです。
そして5050による古神道の百(も)の道(ち)が完成されることです。

 

そして島生みによる14島もこの両児島ですべて生まれたことになりました。
14島の全100神を念のため数えてみましょう。

淡道の穂の狭別の島 1神
伊予の二名島 2神
隠岐の三子島 4神
筑紫の島 8神
伊岐の島 2神
津島 10神
佐渡の島 8神
大倭豊秋津島 14神
(言霊ン 1神)
以上50神(言霊)

吉備の児島 7神
小豆島 1神
大島 8神
女島 8神
知訶島 12神
両児島 14神
以上50神(運用)

 

両児島に座する言霊の整理・運用法は
八十禍津日神、大禍津日神、神直毘神、大直毘神、伊豆能売、底津綿津見神、
底筒之男命、
中津綿津見神、中筒之男命、上津綿津見神、上筒之男命、
天照大御神、月読命、建速須佐之男命です。

本内容は島田正路著「古事記と言霊」に沿って、私なりに内容をまとめたものです。

八十禍津日の神

伊邪那岐の大神の禊祓が続くなか、八十禍津日(やそまがつひ)の神が登場します。

(伊邪那岐の大神)ここに詔りたまはく、
「上つ瀬は瀬速し、下つ瀬は瀬弱し」と詔りたまひて、
初めて中つ瀬に降り濳(かづ)きて、滌(そそ)ぎたまう時に、
成りませる神の名(みな)は八十禍津日の神
次に大禍津日の神。
この二柱(ふたはしら)は、かの穢(きたな)き繁き国に到りたまひし時の、
汚垢によりて成りませる神なり 。

引用:「古事記」

上つ瀬と下つ瀬、そして中つ瀬は天津菅麻音図でここを指します。

【天津菅麻音図】

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八十禍津日の神は上つ瀬の母音アから半母音ワに至る横の並びと関連します。
言霊アは「感情」の働きでした。
感情の動きは自由ではあるものの、ときには激しすぎて
感情の思うままに物事を対処するのは得策ではないのです。

 

八十禍津日の神の八十の説明についてはこうです。
「古事記と言霊」著者島田正路は世の中が二重空間になっていて、

言霊の立場の現象現実の経験知による社会の見方

があると言います。
そして天津菅麻音図言霊の立場の現象を上段、現実の経験知による社会の見方を下段にして合わせるとと次の図になります。

               



               


               
     


     
           



           


           
               
               
               

100の言霊から母音・半母音の計20言霊を引いた80が八十禍津日の神の80なのです。

 

ア段という感情(喜びにまかせ、怒りにまかせ、悲しみにまかせ、など)に立って見渡せる80の現象の実相をそのまま相手に伝えようとしても、相手をきめつけているところがあって相手も聞く耳を持つことがない、これが「八十禍」なのです。

 

天津菅麻音図上のア段を照らし合わし、八十禍は禊祓には適当ではないので感情的にならず言葉を選ぶ力動に、八十禍津日の神の名がつけられました。

 

よってこの八十禍を創造の光(日)の言葉に渡される(津)現象になる、つまり相手に合わせた言葉を選ぶようになる、ということです。

 

外国の学問・文化の検討分析の処理にあたり、その実相が明らかになったところで安心しそれで終わりとしてはならない、という戒めでもあります。

大禍津日の神

八十禍津日の神と同じ場面を再掲します。

(伊邪那岐の大神)ここに詔りたまはく、
「上つ瀬は瀬速し、下つ瀬は瀬弱し」と詔りたまひて、
初めて中つ瀬に降り濳(かづ)きて、滌(そそ)ぎたまう時に、
成りませる神の名(みな)は八十禍津日の神。
次に大禍津日の神
この二柱(ふたはしら)は、かの穢(きたな)き繁き国に到りたまひし時の、
汚垢によりて成りませる神なり 。

引用:「古事記」

大禍津日(おほまがつひ)の神は下つ瀬の母音イから半母音ヰに至る横の並びと関連します。
言霊イは創造意志発露の宇宙でありそれ自体は現象とならないものでした。
ですので下つ瀬は瀬弱しとなります。

 

大禍津日の神の大禍は大いなるもの(大)を前面に出してはならぬもの(禍)という暗示です。
禊祓をするのに「創造意志」を尺度とした言霊原理や言霊学の用語を振りかざすものでもありません。
そして意志というものは底に秘めるべきであります。

 

天津菅麻音図上のイ段を照らし合わし、大禍は禊祓には適当ではないので意志を底に秘めて言葉を選ぶ力動に、大禍津日の神の名がつけられました。

 

よってこの大禍を創造の光(日)の言葉に渡される(津)現象になる、つまり相手に合わせた言葉を選ぶようになる、ということです。

 

そして禊祓の言霊原理を外国の学問と並べて論争の具にしてはならない戒めでもあります。

神直毘の神

次にその禍(まが)を直さむとして成りませる神の名は、
神直毘の神
次に大直毘の神。
次に伊豆能売。

引用:「古事記」

言霊アと言霊イが禊祓にそぐわないようなので残った言霊オ、言霊ウ、言霊エのうち、言霊オとオ段に関連するのが神直毘(かむなほひ)の神です。

 

外国文化から不慣れな論説・主張が入ってきますが、言霊オに則して外国文化・学問すべて人類の知的財産として合理的に整理整頓していく働き神直毘の神です。

 

天津菅麻音図上のオ段を照らし合わし、人間の経験知が禊祓の実行に適当であるため、人間の経験知を役立たせながら禊祓の言葉を選ぼうとする力動に、神直毘の神の名がつけられました。

大直毘の神

次にその禍(まが)を直さむとして成りませる神の名は、
神直毘の神。
次に大直毘の神
次に伊豆能売。

引用:「古事記」

同じように言霊ウとウ段に関連するのが大直毘(おおなほひ)の神です。

 

言霊ウから現出される人間の性能である五官感覚による情報、それにもとづく欲望性能は禊祓でも十分効用を果たし、文明創造は人間の欲望性能と切っても切れないものであります。

 

言霊原理で人間の欲望活動を網羅し、欲望活動全体を合理的にコントロールする働きが大直毘の神です。

 

天津菅麻音図上のウ段を照らし合わし、人間の欲望活動が禊祓の実行に適当であるため、人間の欲望活動を役立たせながら禊祓の言葉を選ぼうとする力動に、大直毘の神の名がつけられました。

伊豆能売

次にその禍(まが)を直さむとして成りませる神の名は、
神直毘の神。
次に大直毘の神。
次に伊豆能売

引用:「古事記」

言霊エとエ段に関連するのが伊豆能売(いづのめ)です。

 

伊豆能売とは御稜威(みいづ)の眼の意味です。
御稜威とは天皇や神などの威光を指すことが多いですが
ここでは大いなる人間生命創造の威力という意味です。

 

もともと言霊エの実践智に人間生命を進化させる目的の働きがあり、
禊祓の実行で衝き立つ船戸の神の天津菅麻音図上で自覚される時、
言霊原理の総結論となる天津太祝詞(あまつふとのりと)音図
つまり人類文明創造の規範である八咫の鏡と呼ばれる精神構造図が
完成されることになります。

言霊原理が明かす八咫鏡の正体と役割とは

 

人間生命を進化させる目的に沿うように、他人の主張も自らの主張も、
その両方の主張の調和をとる方向を目指す働き伊豆能売です。

 

禊祓において言霊エの内容の確認が御稜威の眼(芽)であります。

 

天津菅麻音図上のエ段を照らし合わし、人間生命を進化させる実践智が禊祓の実行に適当であるため、実践智を役立たせながら禊祓の言葉を選ぼうとする力動に、伊豆能売の名がつけられました。

底津綿津見の神・底筒の男の命

次に水底に滌(そそ)ぎたはふ時に成りませる神の名は、底津綿津見の神
次に底筒の男の命
中に滌ぎたまふ時に成りませる神の名は、中津綿津見の神。
次に中筒の男の命。
水の上に滌ぎたまふ時に成りませる神の名は、上津綿津見の神。
次に上筒の男の命。

引用:「古事記」

上記をまとめましたのでこちらをご参照ください。

【天津菅麻音図】

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伊邪那岐の大神は、禊祓を行うにあたって言霊エ、言霊オ、言霊ウが適当であることを知りました。
これから伊邪那岐の大神自身が天津菅麻音図上でそれぞれ伊豆能売、神直毘の神、大直毘の神の確認を行うことになります。

 

水底の底津綿津見(そこつわたつみ)の神とありますので言霊エから始まります。
伊豆能売禊祓においてどのような働きをするのでしょうか。

 

底津綿津見の神の(底の)津は港の意味です。
綿(わた)は渡すの意、津見は流れ出て現われるの意です。

 

水底の言霊エから流れ出た伊豆能売の実践智の働きとは、禊祓の実行において母音エ(いわば外国の学問・文化の真実の姿)より始まり、結論ヱ(それら学問・文化のあるべき処、結論)に渡す働きになります。

 

底津綿津見の神が外国文化を整理・コントロールすると、実践智が提出された主張を確実に摂取して、その人類史上のあるべき処に収まる力動があるのです。

 

天津菅麻音図上において禊祓を行うと、伊豆能売の実践智にて外国文化を整理・コントロールし、母音エという真実の姿より始まりあるべき処という結論ヱまで、そのあるべき処に収まる力動に、底津綿津見の神の名がつけられました。

 

底筒の男の命底筒は筒として母音エ(発端)から横に出て結論ヱまで導かれる、音図上一本の筒のことです。

 

禊祓を行うと母音エから結論ヱまで現象子音テケメヘレネエセという8つの現象の経過の全貌が明らかになる、その全貌に底筒の男の命の名がつけられました。

 

そして底筒の男の命が神でなくと表現されているのは、この子音の自覚が観念や概念としてではなく、実相として生きた人間の自覚としてのみ可能であるからです。

中津綿津見の神・中筒の男の命

次に水底に滌(そそ)ぎたはふ時に成りませる神の名は、底津綿津見の神。
次に底筒の男の命。
中に滌ぎたまふ時に成りませる神の名は、中津綿津見の神
次に中筒の男の命
水の上に滌ぎたまふ時に成りませる神の名は、上津綿津見の神。
次に上筒の男の命。

引用:「古事記」

中津綿津見(なかつわたつみ)の神は言霊ウから始まります。
大直毘の神は禊祓においてどのような働きをするのでしょうか。

 

言霊ウから流れ出たウ段欲望性能の働きとは、出発点ウから終着点ウまで物事の整理・コントロールが着実に実行される、その確証が中津綿津見の神であります。

 

天津菅麻音図上において禊祓を行うと、大直毘の神の欲望性能において出発点ウから終着点ウまで物事の整理・コントロールが着実に実行される、その確証に中津綿津見の神の名がつけられました。

 

中筒の男の命中筒も母音ウ(発端)から横に出て半母音ウ(結論)まで導かれる、
音図上一本の筒のことです。

 

禊祓を行うと母音ウから結論ウまで現象子音ツクムフルヌユスという8つの現象の経過の全貌が明らかになる、その全貌に中筒の男の命の名がつけられました。

上津綿津見の神・上筒の男の命

次に水底に滌(そそ)ぎたはふ時に成りませる神の名は、底津綿津見の神。
次に底筒の男の命。
中に滌ぎたまふ時に成りませる神の名は、中津綿津見の神。
次に中筒の男の命。
水の上に滌ぎたまふ時に成りませる神の名は、上津綿津見の神
次に上筒の男の命

引用:「古事記」

上津綿津見(うはわたつみ)の神は言霊オから始まります。
神直毘の神は禊祓においてどのような働きをするのでしょうか。

 

言霊オから流れ出たオ段人間の経験知の働きが、出発点オから終着点ヲまで
整理・コントロールされ、あるべき処に収まる力動が上津綿津見の神であります。

 

天津菅麻音図上において禊祓を行うと、神直毘の神の人間の経験知にて外国文化を整理・コントロールし、母音オという外国文化の実相より始まりおさまる終着点ヲに渡す、そのあるべき処に収まる力動に、上津綿津見の神の名がつけられました。

 

上筒の男の命の上筒も母音オ(発端)から横に出て半母音ヲ(結論)まで導かれる、
音図上一本の筒のことです。

 

禊祓を行うと母音オから結論ヲまで現象子音トコモホロノヨソという8つの現象の経過の全貌が明らかになる、その全貌に上筒の男の命の名がつけられました。

天照らす大御神・月読の命・建速須佐の男の命

ここに左の御目を洗ひたまふ時に成りませる神の名(みな)は、天照らす大御神
次に右の御目を洗ひたまふ時に成りませる神の名は、月読(つくよみ)の命
次に御鼻を洗ひたまふ時に成りませる神の名は、建速須佐の男の命

引用:「古事記」

古事記の文章では左の目・鼻・右の目と書かれていますが、
これは天津菅麻音図で次の解釈となります。

 

















 

 

上図からまとめますと次のとおりになります。

言霊エの実践智の究極の完成体として、言霊50音の原理を運用・操作することによって人類文明を創造していく最高の規範に、天照らす大御神の名がつけられました。
その精神構造は天津太祝詞音図であり、その内容の表徴が八咫の鏡です。

言霊オの人間の経験知・悟性と、学問・文化を整理する最高の精神構造に、月読の命の名がつけられました。

言霊ウの欲望性能を活用し、人類の産業・経済活動を整理し人類社会に物質的繁栄をもたらす最高の精神構造に、建速須佐の男の命の名がつけられました。

 

伊邪那岐の神から天照らす大御神、月読の命、建速須佐の男の命にそれぞれ統治する場所を与えられ、三権分立が確立することになりました。
この言霊学の最終結論である3神を三貴子(みはしらのうずみこ)と呼びます。

 

 

以上をもちまして50言霊の神々と50言霊運用法の神々の紹介を終え、
言霊原理のシリーズが終了となります。
長々とお付き合いくださりありがとうございました。

多くの人が「古事記」で日本民族に残された宝に気づきますように、
そして多くの人が禊祓を覚え、言霊原理を知る人が支える日本社会が到来するように願ってやみません。