こんにちは、デデです。
道元著「正法眼蔵」の法華転法華の項に次のような教えがあります。
何のことかといいますと法華とは仏教語で生の花、真理のことで、
転ぜらるは状況が変えられる、変わるという意味です。
心を迷わせる困ったことがあると、それに向き合うことで対処のために
アイデア(=悟り、真理)が頭にひらめくことによって状況が転ずる、
だから心の迷いは法華によって転ぜられ、その法華(=悟り、真理)をつかむ
ことになるから、心の迷いもただ切り捨てることばかり考えてはいけませんよ、
という教えです。
その頭にうかぶそういう法華は開示悟入の形式だと道元は言い、つまり
- 開く
- 示す
- 悟る
- 入る
という形式をとるのですが、これらも「心の迷い」があってのことだと言うのですね。
何かと身近な健康問題、家庭問題、金銭問題など心を迷わす事案は多いですが、いたずらにすべて責任を外に求めたり、他力本願の解決を望んだりではいけません。
法華を得られるためにも上記のように自分の内に反省したり、自分の身を律したりする姿勢から法華を開示悟入で招きいれる
心迷法華転(しんめいほっけてん)
が大切となります。
ここで法華経の「如来寿量品」を参考に、法華を「真理」から「嘘でないこと」という意味として含んでみたいのですね。
ほんの少しでも嘘があると問題の解決に苦戦することになりますが、少しも噓を含まない真理(=法華経)なら悟りに到達できる、という思想を引用しています。
心迷法華転で得られた法華はさらに横たわる法華(=嘘でないこと)をさらに深く広がるように転じていきなさいよ、と言う意味で最終的に
と道元は説きます。
ところで世間ではこれまで噓の感染症問題を政府・メディアは真理、真実という「法華」のもとではなく、
つじづまを合わせようとするもの(=法華でないもの)
でもって解決しようとばかりしてきました。
結果、いつも国民をふりまわしてきました。
その結末は当然ですがいい方向に転ずるどころではありませんで、なぜかと言うと法華(=真実)ではないからです。
- 健康な人に顔仮面ばかりつけさせようとする風潮
- 満員電車はOKで屋外の運動会はダメ
- 選挙活動中には感染者数激減しているから密でもOK
などの矛盾ばかりを生じさせているのですね。
真理(=法華)からだいぶ離れすぎて、もはや社会現象が意図的に操作されたもの、疑似環境になっていることは言うまでもありません。
でも打開策はカンタンなのですね。
つまりマスクをつけないことが「法華」なのですから、それだけで社会は
「転ゼラル」ことになるのです。
「心迷ヘバ法華二転ゼラル」