こんにちは、デデです。
大投資家のウォーレン・バフェット氏は
「床屋に髪をきったほうがいいかを聞いてはいけない」
という教訓を残しています。
床屋にしてみればそんなこと聞かれたら答えは決まっているからです。
このバフェット氏の助言は、投資に限らずどの分野においても何も考えず何の知識も持たずに相手の声を聞いただけでおのれの判断の材料にすることの戒めです。
結論から言いますと
世の中はお金儲け、ビジネスで成り立っているため、われわれはただのカモの対象に成り下がることを避けなければなりません。
上記のバフェット氏の箴言は投資判断をするうえで
カモとならないため
なのですね。
たとえば営業マンの助言で、彼に言われたとおりに商品のいいところだけを聞いて安易に契約することは愚の骨頂であり、
- 自分の頭で考えて、
- リスクを理解し、
- 商品を過大評価しない
このような基本を忘れないようにして相手にカモとみなされていけない、という、この教えが
「床屋に髪をきったほうがいいかを聞いてはいけない」
に含まれているわけです。
これは言霊学の「身禊」にも通じる考え方でもあります。
同じように「身銭を切れ」などを著したナシーム・ニコラス・タレブ氏も
相手にとってカモと見なされないように
「学者にあなたの研究は重要かどうかを聞いてはいけない」
と揶揄しています。
最近のコロナ禍で起きていることの判断としては
「医療従事者に予防接種をしたほうがいいかどうかを聞いてはいけない」
がカモにならないための秘訣ではないでしょうか。
これ、『時給』ですよ、時給。 pic.twitter.com/KBp0aMumXw
— heyy.(マスクを外そう!) (@heyy_ime) April 20, 2022
コロナ禍とは利権が絡んだお金儲け騒動で、ニセパンデミックの演出のことですから、もうこれ以上カモにされずに架空の流行り病騒ぎからもとの社会に戻すためには日本民族の自覚と努力が必要です。
「まるで髪をきったほうがいいか床屋に聞く」がごとく、かつてある知人が親族の7回忌(=命日から6年目)を、命日5年目の年に終わらせたいのだが、そういう法要ができるのかと、近くの住職に聞いたそうです。
すると「みなさんそれぞれご都合もあり、やむなければ別に5年目でもかまわない」と住職に言われた、と聞いたことがあります。
「餅は餅屋」で住職による仏教観点からの判断と、その伝統的儀式を提供してくれるサービスは尊重しますし、法要も遺族の心で行うものではありますから、法要自体を否定はしませんが、結局法要も厳密な回忌日程で取りしきるものでもないのだなと気づくと、仏教における死人に対する法要の意味と必要性を考えさせられるようになりました。
「自分でつかんだつもりが実は相手につかむようにされていた」のように、
何も知らないとカモにされやすいご時世ですから、わが国の常識となっていることでも誰かにとってカモなのかカモではないかを意識しておくことは新たな視点が得られるきっかけとなります。