斎き立てる天の御柱の意味

日本民族

こんにちは、デデです。

 

古事記上巻で言霊を学んでいくと、天の御柱(あまのみはしら)が大切となります。
天の御柱はよく耳にしたことがあるのではないでしょうか。

 

天の御柱「柱」は神が宿るとされているので神社でもは別格の扱いで、
長野県諏訪大社の御柱祭はとても迫力ある祭りで有名ですね。
住居の設計でも中心となるのは大黒柱です。

 

古事記上巻の通説だと天の御柱が淤能碁呂島(おのごろじま)で発見された、という解釈ですが、古事記上巻の言霊原理では天の御柱の意味がわれわれにとって大切になってくることがわかります。

 

結論からいうと
言霊原理の観点から、何かする時に心のなかに天の御柱を斎き立てましょう。

 

本内容は島田正路著「古事記と言霊」に沿って、私なりに内容をまとめたものです。

天の御柱の立つ淤能碁呂島

天の御柱とは何ぞや、ですが
まず天の御柱が立つことになるのは淤能碁呂島(おのごろじま)です。

 

淤能碁呂島は古事記上巻で一番最初に登場する島なのですね。

 

淤能碁呂島の名の意味は、おのれ(淤能)の心(碁呂)の締まり(島)になり、
心の締まり、心の先天宇宙の一区分という暗示が隠されているのです。
島というのは区分けという意味でした。

古事記に登場する言霊原理の島について

 

古事記の通説によれば

淤能碁呂島

天の沼矛をぐるぐるかき回して持ち上げたときその矛の先からしたたる塩が積もってできた島

でありますが、言霊学の解釈ではまず天の沼矛が口のなかの舌を暗示しています。

 

矛(=人間の舌)をぐるぐる動かして音をだすと発音のメカニズムが塩(=四穂、4母音)でできているという区分だ、という内容です。
淤能碁呂島ではそのような心の締まりになっているわけです。

 

古事記上巻のは神話の話ではなく言霊原理の「今ここ」で起きている現象の分析ですのでご注意ください。

 

しかし淤能碁呂島の最大の特徴は次のものです。

心の締まりという意味の淤能碁呂島には天の御柱八尋殿(やひろでん)があるのです。

 

淤能碁呂島天の御柱八尋殿が存在する理由を見ていくことになります。

 

八尋殿とは8つを尋ねるという文字通り、8つの敷居の組まれた神殿、つまり8父韻が並びそろう場所であります。

 

そして天の御柱とはおのれの心の締まりの上に柱のように屹立しているもの、それは淤能碁呂島の塩(=4穂、4母音アオウエ)と言霊イ(=伊邪那岐の神)が加わることによる5母音アオウエイを示しているのですね。

天の御柱を立てる行為とは心のなかで5母音の次元(感情、経験、欲望性能、実践智、創造意志)を自分で自覚することです。

 

そして5母音アオウエイである天の御柱を自覚することを「五作(いつく)る」からイツキ(斎き)と言います。

 

天の御柱を斎き立てる淤能碁呂島とは、われわれの自覚を誘う心の締まりなのです。

2つの機能がある天の御柱

天の御柱の5母音アオウエイが斎き立つことで、5母音と向かいあう場所に半母音のワヲウヱヰも成立します。

 

「古事記と言霊」で紹介されていた言霊研究の知識人たちによる解釈によれば、
主体側となる5母音の「天の御柱」に対し、古事記に出てきませんが客体側となる5半母音ワヲウヱヰは「国の御柱」と定義しています。

 

ここで天の御柱の機能で2つの解釈があります。

天の御柱と国の御柱が別々のままのときの、主体側の天の御柱で観るか、
天の御柱と国の御柱がひとつになったときの主客一致の天の御柱で観るかです。

 

言霊原理から読み解くと、天の御柱と国の御柱が別々にある状態というのは、
親音である言霊イと言霊ヰが別々に母音アオウエイと半母音ワヲウヱヰと含まれている状態です。

 

すると、イとヰが8父韻をはさんで5母音と5半母音を横につなぐ、いわゆる
イ・チイキミシリヒニ・ヰという10言霊も並び立つことになります。

 

このイとヰの間の、8父韻チイキミシリヒニが架け橋の役目をする、
これが言霊学でいう天の浮橋です。
天の浮橋天の御柱と国の御柱が別々に立つとき、
イ・チイキミシリヒニ・ヰの10言霊が成立するもので、
主体と客体が分かれる相対観のときの目印になります。

 

この時、天の御柱純粋の主観、国の御柱は純粋の客観と定義されるように
われわれの主観の心の動きと客観の心の動きを明らかにします。
以上が1つ目の機能です。

 

反対に、言霊原理では天の御柱と国の御柱がひとつになって斎き立つことになる解釈もあります。天の御柱が国の御柱を融合してひとつの柱、天の御柱となるというのです。

 

われわれの主観的な心が客観をも含む瞬間ですね。
この絶対的な主客一致の天の御柱であります。

これが2つ目の機能です。

 

結局、伊邪那岐の神と伊邪那美の神の交わりで島や国が生まれたというのは、
絶対的な主客一致となった天の御柱のうちの4母音アオウエ(=伊邪那美の神)に、創造意志8父韻(=伊邪那岐の神)が天の御柱の周りをかこみ、働きかけやすくなったために4x8の32子音が生まれたという暗示なのです。
その状況が古事記の下記の場面です。

伊邪那岐の命詔りたまひしく、
「然らば吾と汝と、この天の御柱を行き廻りあひて、
美斗の麻具波比(はぐはひ)せむ」とのりたまひき。

引用:「古事記」

天の御柱を斎き立てる

天の御柱を静かに斎き立てた心のなかでは5母音の次元の根底にある原始的力動の創造意志が目を覚ますようになります。

 

天の御柱が心のなかで斎き立つと、言霊ヰ(=伊邪那美の神)はつねに言霊イ(=伊邪那岐の神)と共にあることになり、主客一致の冷静な立場に立った意志が生まれるという大切な原理が隠れているのです。

 

主客一致の天の御柱は、のちに高天原において伊邪那岐の神が、黄泉津大神となった伊邪那美の神の物資科学客観文明を包み込んで身禊(みそぎ)を行う

伊邪那岐の大神

を彷彿とさせるものであります。

言霊原理 伊邪那岐の大神

 

われわれの心の宇宙から始まる言霊の力動で天の御柱を斎き立てたために、結果として32の言霊子音が現象として生まれたのであり、さらに心の先天宇宙で生まれた考えが現象化するように天の御柱を斎き立てて取り組んでいくことになるのです。

 

ところで伊邪那美の神は最後に言霊ンを生んで比婆の山(霊葉の山、32子音)に名残を残して、いったん伊邪那岐の神の前から姿を消すことになります。

 

伊邪那美の神を失くしても、伊邪那岐の神は主体の力動を表す「伊邪那岐の命」と名前を変え、天の御柱を斎き立てながら言霊音図で理想の精神構造をつくっていく、という展開で古事記上巻がすすんでいくのです。

言霊原理の島 ⑨吉備の児島

 

最後に

天の御柱についてお伝えしました。

 

言霊原理で読み解けば、われわれの心の宇宙はアオウエイの五段階構造でできており、その5母音で天の御柱を斎き立てるのです。
そしてそれは心の家(=五重、イエ)となる拠り所でもあります。

 

そして主客一致となった天の御柱の創造意志があなたを動かし、尊い「今ここ」から斎き立てた考えひとつで、何かが変わるという可能性はよくあることなのです。