山岡鉄舟が残した教訓

西郷南洲論

こんにちは、デデです。

 

読書尚友(= 書物を読んで、その書物の作者や、その書物に現われる古代の賢人を友とすること)とあるように、山岡鉄舟の著作から彼の声を聴いてみました。

レオナルド
レオナルド
「剣禅話」山岡鉄舟著 高野澄訳

 

ものごとが道理にかなっていないことでも世間の人がこれをよしとして誉めるようになれば、非も是と思われるようになる

 

これと反対に、堂々たる正しい道でも、人々がこれに従わないというのであれば是も非となってしまう

 

こうなるのも、くだらぬ人間が名利を求めることにばかり気を取られ、目の前の欲に迷ってしまっていて、人間が天から授かった道理をよく心得ていないがためである。

引用先:修養論 修心要領

正しいことでもダメとなり、ダメなものが正しいとなる不合理を説いています。

このような不合理が起きる理由は目の前の欲に迷ってしまっているからと言い切っています。

ところで山岡鉄舟がわが国のマスクをしている人だらけの光景を見たらどう感じるでしょうか。

 

目心とは、目で見るな、心で見るようにせよということである。
目で見ると迷いが生まれるが、
心で見れば、表と裏とに迷うことはない。
目は捨て目付として使うようにし、
心の目で見るようにすることである。

引用先:剣法論 一刀流兵法箇条目録 (六)目心のこと

次に目心のことを伝えます。
本質は心で見なさいという教訓です。

松尾芭蕉の目線で日本という書物を読む

山岡鉄舟は、物事を目で見るな、心で見るようにせよ、の目心を養うために多くの時間を坐禅で過ごしていたと言われています。

 

目心に関連して次のツイートを引用します。

この国立感染症研究所の書面は何を言っていると思われますか。

  1. 流行り病はない
  2. 本当は流行り病はあるのだが書類がないだけ
  3. 国民よ、早く気付いてくれ

 

山岡鉄舟なら、③を選ぶと思うのです。

 

最後に、徳川家が江戸城を明け渡したときの記録です。

無血開城当日、徳川家は約束を守り、薩摩藩も約束を守ってこのまま平穏無事かと思われたそのとき、徳川家のほうから五~六十人の不穏な動きが起きはじめ、薩摩の西郷隆盛側付き添い人も慌ただしくなる緊張が走りました。

山岡鉄舟もどうなることかという瞬間があったようです。

しかし、西郷氏は落ち着きはらい、

「わたしが殺されることにでもなると、兵士どもはふるいたちますよ」

といったものだ。
そのことばの確乎不動なることは、まったく感嘆すべきものであった。
(いま西郷氏は、国賊の名を受けて地下に葬られているが、ひそかにむかしのことを回想すると、かれこそ私の親友であったのだという思いを押さえることができない。嗚呼、かれのような人物が死んでしまうとは・・・)

引用先:維新覚書 西郷氏と応接之記

山岡鉄舟も動乱の時代に生きて、わが国の国体を守ろうと共に歩めるのは仕末の困る人であったこと見抜き、そして仕末の困る西郷隆盛こそ親友であったと、後から気づいて後世に残しています。

西郷隆盛と仕末に困る人

ところでお騒がせの流行り病についてはもう世界で嘘がばれているのですが、わが国だけは政府とメディアによっていつも国防の危機のように扱われ、国民に注文ばかり要求しています。

わが国の政治家たちはいつまで流行り病でやっていくつもりでしょうか。

結局いつの時代もわが国の国体を守る気概を感じさせてくれる人に政治をまかせたいと思うものです。
政治をまかせたいと思う人とは山岡鉄舟のような仕末の困る人たちです。

 

以上、山岡鉄舟が残した教訓を少し紹介しました。
一生を剣術と坐禅に捧げた山岡鉄舟です。
剣術と坐禅で自分と向き合い続けた山岡鉄舟が残した言葉は普遍的なものであり、日本民族は大いに参考にしてもよいのではないかと思うのです。