こんにちは、デデです。
言霊原理における古事記の島、2つめは伊予の二名島(いよのふたなしま)です。
伊予の二名島の伊予(伊豫)とは言霊イのあらかじめ(予め)という解釈がされています。少し言霊イの予定の二名島という解釈を含んでおいてください。
ひとつ前の島、言霊ウの天の御中主の神が座する「淡道の穂の狭別の島」では
その島の名称の意味に言霊アとワに分かれる暗示があるとお伝えしました。
今回の伊予の二名島が言霊イの予定と示唆してくれているのも、
この先にとても重要な言霊イと言霊ヰの2神が座する島(=伊岐島)があるからであり、言霊イと言霊ヰでは主体と客体の関連性が大きなテーマとなるのですね。
そのためにどこかで主体と客体が分かれる現象が生じていなければなりません。
そこで伊予の二名島の二名が言霊アと言霊ワということになってきます。
その主体と客体に導く言霊アと言霊ワの剖判(=分かれること)が
伊予の二名島で見られることになります。
伊予の二名島に座する言霊は高御産巣日の神、神産巣日の神です。
本内容は島田正路著「古事記と言霊」に沿って、私なりに内容をまとめたものです。
高御産巣日の神
:言霊ア
宇宙のなかで忽然と言霊ウが生まれると、次に「する」と「される」の
主体と客体に分かれていくのが自然の摂理、真理であります。
そこで主体と客体に剖判したあと、主体側の役割が言霊アです。
言霊アには高御産巣日の神の名がつけられました。
言霊アとは主体となるあらゆる概念のはじまりです。
しかし注意が必要なのは、この言霊ウが分かれるという宇宙剖判の直後では
まだ心の宇宙に言霊がポッとうごめいたばかりの瞬間ですから、
人間がとうてい意識できない先天宇宙の話であります。
ですから主体と客体の剖判とは言いますが、まだ「する」側が何がをすると
「される」側はこうなる、というような現象を語れるレベルにはありません。
古事記で「身を隠したまひき」の表現が暗示しているのは、
言霊がまだ先天宇宙にありますよ、ということです。
言霊アにつけられた高御産巣の神ですが、
カタカナで表記すると高御産巣日はタカミムスビとなります。
一方の神産巣の神のカミムスビと比べて「タ」がついているのが違いです。
その違いの意味とは「言霊タ」が自覚された人間性の内容を示すことから
そのように人間性を自覚するのは主体側ですから、当然「タ」をつけて分けたのではないかと考えられています。
言霊アは宇宙剖判直後の主体側の「感情」を表します。
そしてその主体側の自然な感情は、次に言霊オと言霊エを生み出していくことになります。
神産巣日の神
:言霊ワ
そして宇宙剖判直後の客体側の役割が言霊ワです。
言霊ワには神産巣日の神の名がつけられました。
言霊ワとは客体となるあらゆる概念のはじまりです。
天地の初発の時から次に宇宙剖判が発生して初めて二元性概念となります。
二元性のポイントは一方がなくなると片方の存在意義がなくなりますから、
主体が消えると客体が消え、客体がなくなるとまさに主体もなくなるのです。
それを表現すれば
客体なくして主体なし、客体なくして概念なし
となります。
ですから言霊アと平行して言霊ワはとても大切な位置づけなのです。
カミムスビのカミは「噛む」の意。「噛み合わさる」。
ムスは「うまれる・はえる・生じる」という意。
ビは「霊」で言霊、特に「子音」のこと。
カミムスビの全部では「噛み合わさって現象である子音が生じる」となります。引用先:「古事記と言霊」天地の初発
二元性の特徴ですが客体と噛み合わさるのは主体しかありません。
客体あっての主体ですから「する」と「される」で問題が発生するように、
これから主体と客体が嚙み合うと現象が生じるようになってくるというわけです。
たとえば善と悪の概念が噛み合わさると、すぐに対立とか解決策とかの現象が生じることになるのは当然なのです。
それに客体は現象として主体の問うものだけに答えるものです。
たとえば主体が形の丸いものを問いていれば、長いか細いか、固いか柔らかいかは問題ではないため無視されやすく、客体は主体の問いている形の丸いものへつながるような実相になりやすい、ということです。
客体の元祖となる言霊ワはこれから言霊アが生み出す客体という形で言霊ヲとヱを生み出すことになります。
以上、伊予の二名島に座する言霊2神を紹介しました。
宇宙剖判によって誕生した主体と客体のはじまりを言霊アとワに帰することができました。
そして伊予の二名島の伊予のごとく、のちほど登場する言霊イとヰがさらに
主体と客体を深堀りすることになります。
次回は言霊アと言霊ワが生むことになる言霊オエヲヱの島を紹介します。