「あることになっている」ミステリー現象とは

不都合な真実

こんにちは、デデです。

 

「あるはずのものがない」ほうが、「ないはずのものがある」よりも、ミステリー的には仕掛けやすいのです。

赤川次郎

レオナルド
レオナルド
「ミステリーの書き方」日本推理作家協会編著

 

「あるはずのものがない」とは「あることになっていた」と読めますね。

 

現在お騒がせの流行り病とは、誰も証明できない病原体が

「あることになっている」

扱いになっているため、ミステリー的に仕掛けやすいのです。
そのため世界的にも国内的にも大衆の「ある」「ない」の間で草の根の対立が
今でも続いています。

 

結論からいうと
流行り病が「あることになっている」ミステリーのままであれば
バレても誰も責任をとらないで済むようになります。

 

それでは世間をお騒がせ中の流行り病は本当に「ある」のでしょうか?
まず47都道府県 流行り病についての不開示回答書について、
流行り病が「ある」と考えている人から、

「流行り病を証明する書類を不開示にする」のと
「流行り病がない、存在しない」というのは全然違う

と指摘されます。

 

それはごもっともな意見です。
しかしよく考えてみてください、流行り病が「ある」と盲信している人よりも
この流行り病が「ある」のか「ない」のか、科学的証拠を見てみたいという人たちのほうが明らかに

ミステリーの本当のことが知りたいと強い好奇心を持っている

のです。

 

好奇心のある人ほど「あることになっている」流行り病は本当に存在するのか気になるものであり、どれほど危険で致死率が高いのか、その過去になかったような性質の遺伝子塩基配列を見てみたい、そして科学的に考察を加え人類のために究明したい。
そのようなミステリーの解明に駆り立てられるものでありましょう。

 

そういう科学的思考を持つ人に対して最も科学的であるべき国の公的機関各所が

「不開示します」

のようにミステリーで終わらせるようなことをするでしょうか。

その国の公的機関や各自治体が「ある」という見解で大衆には強烈な感染対策を要請しておいて、大衆から「病原体を教えてください」という問いに「不開示します」というミステリー劇場で終わらせようとすると、「ある」のか「ない」のかの質問に答えたことにならないのですね。

 

それも47都道府県のみならず、厚生労働省国土交通省文部科学省すべて
「不開示します」で口裏あわせのような同じミステリーの回答です。
もし本当に病原体が「ある」で、誰でもわかりやすい論文があればとっくにメディアがしつこいくらい繰り返し取りあげていたのではないでしょうか。
(だからメディアはお金で御用学者を使うのです。)

 

それに加え、流行り病は「ある」んだけど書類を公に開示しないだけ、
というミステリー主張もおかしくなってきます。

その「ある」をみんな知りたいのです。

テレビの御用学者による「ある」という解説はさらにあてになりません。
(テレビとは出演者がお金をもらってスポンサー企業にとって都合のいいことを言う場所です。)
そのためネットで真実の情報が広まったらまずいのか、ネットに投稿された解説だけが意図的に言論統制までされて、なぜ消されるのかというミステリーが起きている始末です。

 

テレビ出演の御用学者が流行り病の存在証拠を「ある」と主張していたならば、
その御用学者の名前と放送局、番組名、放送された時間帯を調べ上げて
書面にのせて公的機関がそのように発表してもいいのではないでしょうか。
しかも流行り病が始まってからかなり時間がたっているので、
その御用学者に「ある」という論文を依頼して公表させてもいいでしょう。

 

「あることになっている」展開は真実が表に出てくることがないので
ミステリー的には仕掛けやすく、いつもわれわれをだましてくるものだと
頭のかたすみに置いておきましょう。

 

それに加え、流行り病が「あることになっている」最大のミステリー立役者がPCR検査です。
政府・メディア・医師会の見解では今までの感染者というのは

PCR検査の陽性者

が対象です。
インフルエンザの遺伝子もカウントしてしまうミステリーPCR検査であれば
それは病原菌の特定にはなりませんし、「無症状」というあいまいさでは
「ある」という国民の誤解を招く詐欺になるだけですから、
ミステリーPCR検査が万能検査という扱いを即刻やめるべきです。
詳しくは新コロ騒動を知る!さんのサイトをご覧ください。

 

われわれ大衆はPCR検査のインチキさに興味を持ったときにはじめて、
流行り病は意図的に「あることになっていた」と気づくのかもしれません。

 

大切なことですので声を大にして言いますが、
政府・メディア・医師会は流行り病が「あることになっている」前提で
感染政策を続けているのです。

そして繰り返しますが
「あることになっている」展開は真実が表に出てくることがないので
ミステリー的には仕掛けやすく、いつもわれわれをだましてくるのです。

 

結果的に大衆の認識を完全に「ある」にさせてしまい、大衆の認識が「感染したら恐い」という疑似環境をキープさせるミステリーアイテムがマスクなのです。

われらは疑似環境のなかにあり

「ある」と洗脳されてしまった大衆はミステリー劇場の一部のようなもので、
知らないうちにわが国が最終段階にあるという環境を、われわれ大衆が自ら
導いている事実さえも気づかないのです。

 

最後に、「ミステリーの書き方」から悪役についてのポイントです。
悪役を現政権と置き換えて読んでみてください。

例外もあるが、悪役は、ミステリアスでなくてはならない。
底を割ったらおしまいで、その時点から、読者の興味は離れていく。
したがって、主人公とは違って、
悪役の行動は、何から何まで描写されることはない。

貴志祐介

今、大衆の前で描写されていない悪役の行動とは何でしょうか。

「あることになっていた」疑似環境で本当は流行り病はなかったと
バレたとき、
悪役は「自分もあると思っていた被害者のひとりだ」と
責任をとらず、とぼけ続けることになるでしょう。

 

結局エリート出世の保身のために、誰ひとり真実を追求せずして責任を取ろうとしないトップダウン式組織の弊害が「あることになっている」コロナ禍なのです。