全体主義の手口を学ぶ

不都合な真実

こんにちは、デデです。

 

次のツイートを引用します。

 

和訳部分

1943年に共産党本部は米国の共産主義者全員に次の指示を出した

「反対者の中で特に邪魔する者がいたら、彼らにファシストやナチスや反ユダヤ主義のレッテルをはろう」

「そして彼らに風評被害を与えるために反ファシスト・反差別組織の好評と権威を利用しよう」

「我々に反対する者を、既に悪評ある言葉に結び付けよう」

「これをずっと続ければ、こうした否定的連想が大衆に定着するだろう」

 

この映像の出所が不明ですが、その言葉には信ぴょう性があるように響きます。

 

今まで起きてきた戦争の戦略ではトロイの木馬のように正体を偽って侵入したものが、その侵入した内部で破壊工作を行う手口が採用されてきました。

現在のわが国においてもトロイの木馬とまったく同じ全体主義の手口が明治維新以降やられてきているのが見受けられます。

国でも会社でも家庭でも、それらを破壊するには

まずその内部で分裂させる

のが常套手段だからです。

 

そのわが国は全体主義に向かってどのようにやられてきているかというと、流行り病が「蔓延していることになっている」と政府・メディア・医師会がずっとその立場を取りつづけているのですね。

流行り病を2類から5類に落とさなかったり、マスク不要は時期尚早と述べたりする政府の見解は全体主義を目指す手口のひとつであります。

 

なぜかといえば「もとの社会」ではなく

「予防注射が当たり前の全体主義社会」

を大衆自身が求めている、大衆も受け入れている、そのように向かわせるように自由を規制する感染対策措置をジワジワと大衆に毎度要請してきており、それが現在も継続しているのです。

 

その結果、流行り病の蔓延だけを聞かされ続けた大衆は全体主義社会でよく生まれがちの疑似環境を作ってしまったのですね。

われらは疑似環境のなかにあり

そうしてマスクを着用しない人や予防接種を拒否する人をメディアがとりあげ、公開処刑することによってノーマスクに対する否定的な連想が大衆に深く根付くようにしてしまいました。
この手口はまさに全体主義社会なのです。

 

「全体主義の起源」を著したハナ・アーレントも次のように述べています。

好ましくない個人に対する直接の恐喝や殺害よりはるかによく

全体主義プロパガンダの特徴

を示しているのは、教義を受け入れようとしない者、あるいは何らかの理由から強化の対象から除外されている者すべてに対する、

婉曲で間接的な脅迫である。

ハナ・アーレント 引用先:「全体主義の起源」 3 全体主義

 

レオナルド
レオナルド
「全体主義の起源 3 全体主義」ハナ・アーレント著 大久保和郎・大島かおり訳

 

マスクをつけない人がいるのはマスクがウイルス吸入防止などの感染症対策には無意味であり、しかも時間をかけて深刻な感染被害は出ておらず、感染者はPCR検査の陽性者と誤解されていると確認されたからです。それにマスクをつけないことが人間にとって自然であり健康な人には無意味だからです。

 

マスクをつけない自然のあり方こそ「もとの普通の社会」に戻るためのきっかけであるのに、

「ノーマスクは流行り病を蔓延させる」と悪評ある言葉に結び付ける行為

を行っている人は自分でつくった疑似現実のなかで自分のやっていることをわかっているのでしょうか。

 

悪評ある言葉に結び付ける行為こそが共産主義・全体主義の精神なのです。

 

国際金融資本(DS)が目指す全体主義の管理監視社会とは、まずその組織の内部で感情的に対立をおこさせ、大衆同士が対立している合間に大衆に対して厳しい施策を打ち出してくるものなのです。