ぼっちでいる時間の意味を知る人は強い

不都合な真実

こんにちは、デデです。

 

動画を紹介します。引用先は菊谷隆太さんです。

 

ぼっちでいる時間というのは侮れないのですね。

 

執行草舟氏が著した「生くる」で学べるように

「孤独」と「孤立」はまったく違う

のです。
「孤立」とは自分の主体性を持っていない、もしくはまだ確立していないために
その自分の主体性からこみあげてくるものではなく、他人依存の表面的なつながりで交友関係を続けようとするので、主体性のない自分と向き合う時間である「ぼっち」になると苦痛ととらえてしまいます。
一方で、「孤独」とは自分の主体性を形成する、つまり自分を成長させる時間であるために、周りから邪魔されない「ぼっち」でいる時間の環境を喜んで歓迎するものだからです。

 

ぼっちでいる時間のすすめは古代ローマの時代からも聞くことができます。
第14代ローマ皇帝ハドリアヌス帝は

「独りきりでいるという贅沢を楽しむ」

と回想し、
第16代ローマ皇帝マルクス・アウレリウス帝は

「他人から束縛を受けぬこと」

と自省し、
古代ローマの哲学者セネカは

「あらゆる障害を取り除き、精神を健全にするために時間をとりたまえ。
忙殺されながら健全な精神に到達した人はいない」

と書かずにはいられませんでした。

 

孤高へ近づくための手段、それがぼっちでいる時間を楽しむなのです。

 

紹介した動画のなかで登場した釈迦でさえ、お弟子さんが離れていって
「ぼっち」でいる時期があったと言いますが、それでも独り修行を欠かすことは
ありませんでした。

他人に従属することはすべて苦しみである。
自分が思うままになし得る主であることはすべて楽しみである。

引用先:感興のことば 第30章 楽しみ 42

レオナルド
レオナルド
「真理のことば・感興のことば」中村元訳

 

問題は
「ぼっち」でいる時間で何をやらずにはいられないか、
「ぼっち」でいる時間で自分は何を楽しめるかを知っているか、
「ぼっち」でいる時間で幸せと思えるかどうかでありましょう。

 

「ぼっち」でいる時間が多ければ多いほど、自分を大切にしているとも言えるのです。