統計の本質は真実ような誤謬を生むところにはない

テレビ論

こんにちは、デデです。

 

われわれがよく目にする統計は目をこらして注意しながら眺めておかないと簡単にミスリードされてしまうことをご存じでしょうか。

 

メディアでの統計の使われ方は、いろいろ罠がありますから注意しておきましょう。

 

なぜならそのデータそのものを使って「できあがっている自分の主張にあとから加えるもの」として扱われると、真実から離れて真実のような誤謬が生まれやすいからです。

 

統計の本質はそのデータとともにその人の主張を真に受けるのではなく、データに向き合って自ら情報をとり、自分の考えと好奇心を右へ左へ深めるところにあります。

 

 

とかく統計にはごまかしが効きやすいものですから、見る目を養うことに越したことありません。

 

そこで統計のデータを眺めるときは少なくとも次のポイントだけを押さえておいたほうがいいように思います。

  • 情報を抜き出すこと(たったひとつに限らない)
  • 厳密性を追求すること(これだけは言えると自分で納得する)
  • ランダム性にだまされないこと

引用:ナシーム・ニコラス・タレブ著「身銭を切る」

 

たとえば次のようなデータがあります。こちらで上記3つを検討してみます。

 

まず情報を抜き出すことについては、このデータから日本がヤバいというのはよくわかると思います。

 

しかし情報はそれだけではなくて、たとえば目線を列記してある国々に移し、

  • なぜ国際金融資本(DS)が支配する国(=DS支配国)だけなのか、
  • ひょっとしてDS支配国だけ予防注射が行われているのか、
  • 他の国で予防注射が行われていない国もあるのではないか、

と好奇心を持ってみて新たな情報の扉を開くのもいいのではないでしょうか。

 

次に統計を見る時にポイントとなる厳密性を追求することですが、データから紛れもなく言えることは「わが国で予防接種をした人が他国と比べて多かった」という点になります。

 

そこで他国もわが国と同じように予防接種が推奨されていたわけですから、わが国の数字と他国の接種人数が匹敵していてもおかしくないはずです。

 

なぜ他国では接種率が低くなっているのか、何があったのか、予防接種は罠であることが大衆にバレたのか、というその事実背景にも注目して、その厳密性も追求することにもなります。

 

そして最後にランダム性にだまされないことですが、これが大事です。

 

ランダム性とは、絶対ではないものを絶対と捉えてしまう錯覚のことで、たとえば大地震は来ないことを今後も来ないと捉えてしまうようなことです。

 

データを見て正悪は関係ないのに正悪のどちらかと思ってしまう、たとえば接種率の割合が多いから有利になるとか正しいとか、接種の数が少ないから不利になるとか悪いとかいう判断はできないのですね。

 

気づかずに錯覚をおこすとランダム性にだまされてしまう、ということになり、真実のような誤謬を信じてしまうのです。

 

そこの盲点を突いて、「できあがっている自分の主張にあとから加えるもの」として汎用されやすいのです。

 

たとえばこのデータをうまく使えば、日本民族のコロナ禍対策世界貢献度にも前向きだという主張に使えるわけですし、わが国だけ接種した人が多いという違和感の主張にも使えるというふうにもなるでしょう。

 

特にテレビでは気を抜いて見ていると、引用されるデータを巧みに使いながら、テレビ局の誘導テクニックには気づかずそうではないのにそうであると信じ込んでしまいそうになるのです。

 

以上、3つのポイントからデータをみるときには受け身にならないようにしましょうということです。

  • 情報を抜き出すこと(たったひとつに限らない)
  • 厳密性を追求すること(これだけは言えると自分で納得する)
  • ランダム性にだまされないこと 

 

そして大切なことはそのデータを自分でよく精査して、自分の発見や考えと好奇心を創造していくことにあるのです。