こんにちは、デデです。
古事記上巻は言霊原理の教科書であると何度かお伝えしてきておりますが、
なかでも「身禊(禊祓、みそぎ)」は言霊学のクライマックスであり、太古の日本人もおそらく尊んだであろう言霊(=神)とつながる大切なプロセスです。
そんななか、言霊学の結論として身禊から生まれることになる月読命をまるで生き写しにしたような方、月読命の使命をこの世で果たしたようなドーリル博士が、
彼の著書のなかで神とつながる方法を述べている際、まるで言霊原理を用いずに「身禊」と同じことを伝えています。
あなたの情緒性に好まれることを片方へ押しやりなさい。
そして、自分の理性と識別の力を呼び出しなさい。
分析の力をそこへ適用しなさい。引用:「カバラの真義」第5章 可視の聖者、不可視の聖者
まず身禊を簡単にまとめますと次のようなものでした。
外国からわが国にもたらされたものや未知のものについて、それらを精査してわが国に文明として受け入れられるよう、望ましい結論に達するように選ぶべき言葉は、われわれの高天原(脳内中枢)で言霊5母音アオウエイのなかで言霊オ(=記憶・経験)、言霊ウ(=欲望性能)、言霊エ(=選択・実践智)を駆使します。
その時、言霊ア(=感情気質)と言霊イ(=創造意志)について、言霊アは八十禍津日神(やそまがつひのかみ)、言霊イは大禍津日神(おおまがつひのかみ)によって身禊時の適用が規制されます。
ちなみに身禊のような言霊の整理・運用法おける言霊の力動なども古事記上巻では神の名で表されているのです。
そこで再度、ドーリル博士の言葉を読み取ると次のようになるのではないでしょうか。
あなたの情緒性(感情+意志)に好まれることを片方へ押しやりなさい。
そして、自分の理性(実践智+欲望)と識別(経験+欲望)の力を呼び出しなさい。
分析(実践智+経験)の力をそこへ適用しなさい。
ドーリル博士によるとこの作業が物質界から離れ、高級な魂である神と一体となる方法だと言い、彼の言葉でいう「魂の光輝(イルミネーション)」の一作業にあたります。
ですから身禊は思いつきではできないことになります。
言葉を選ぶという作業は決して思いつきでできるものではありません。
思いつきの先には必ず感情に端を発して論争に発展してしまうものが多く、不必要に全面に押し出してはいけない言霊を出してしまうことになるからです。
身禊を意識して取り組むことによって適切な言葉を選ぶという作業は、
ドーリル博士も指摘しているように、われわれは霊的実現を達成していることになるのです。
とかく思いつきによる行為だけでは深く考えない行為と等しくなってくるのです。